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2019年3月28日 (木)

日めくりより/夏ミカンのルーツは山口県長門市「青海島」

今日は3月28日。

  

日めくり「雑学王」(TRY-X)より。

春に出回るのに「夏ミカン」という理由は? 

Epson015  

そうだったのですね。

実際にスーパーに行って確かめたいですね。

夏ミカンのナツダイダイとも呼ばれ、

「夏代々」「夏橙」」ちう漢字が当てられます。

旬の食材百科 ナツミカン

ここに面白いことが書いてありました。

  

夏ミカンの変わっている所は、

前年になった実を年を越して夏になっても収穫しないでおくと、

今年は今年の実がなり、同じ木に前年と今年の両方の実が

付いた状態になるそうです。

その様子から代々続くという意味でも「夏代々」と

名付けられたそうです。

原産は日本で、江戸時代に山口県の青海島(おおみじま)で

西本於長氏が海から流れ着いた柑橘の種を育てたのが

最初と言われています。

今でも山口県萩市で多く栽培されています。

  

流れ着いた柑橘の種が流れ着いたのを育てた!

どこから来たのか?

そのもとが正確には原産国ですよね。

 

さらに付け加えで、goo Wikipediaから引用。

 

江戸時代中期、黒潮に乗って南方から、

山口県長門市仙崎大日比(青海島)に漂着した文旦系の柑橘の種を

地元に住む西本於長(ちょう)が播き育てたのが起源とされる

この原木は現存(ただし原木部分は根のみで、

上部は接ぎ木されたもの)し、史跡及び天然記念物に指定されている

山口県、特に萩市で多く栽培されている。

明治期には萩藩において、職を失った武士への救済措置として

夏みかんの栽培が奨励されており、

当時植えられた夏蜜柑の木が今も萩市内に多く残る

山口県のガードレールの多くが黄色いのは1963年の

山口国体の際に名産の夏みかんの色に由来して

塗り替えられたためである。

1926年の初夏に萩市に来訪した、

摂政宮裕仁親王(後の昭和天皇)は夏みかんのあまりの香りの良さに

「この町には香水がまいてあるのか」と発言したとの記録がある

この香りは2001年、環境省による「かおり風景100選」に選出された

昭和初期に大分で夏蜜柑の枝変わり種の甘夏蜜柑が発見され、

昭和40年代から山口県以外の地域で夏蜜柑から甘夏蜜柑への

栽培切り替えが進んでいる。

現在「夏蜜柑」と言えば、「甘夏蜜柑」を指す事が多い

 

ね、面白いでしょ。

1963年の国体がきっかけで、ガードレールがオレンジ!

Que11128636246 Yahoo!知恵袋

  

西本於長さん(女性のようです)が植えた原木は

次のサイトで見ることができます。

山口県・長門市・今が旬

  

明治時代に、職を失った武士のために夏ミカンを

普及させた話もいいですね。

社会科の授業で使えそうな匂いがプンプンするネタでした。

  

やはり今日はスーパーに行ってみたい。

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