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2019年1月26日 (土)

「エアーズロック」はなぜ「ウルル」となっていったのか

今日は1月26日。

  

前投稿に引く続き、まずはウルルのことを書いていきます。

pixabayより。

Photo_10

Photo_11  

 

かつては「エアーズロック」と呼ばれていたウルル。

「エアーズロック」については、次の理由で名前がつけられました。

 

『エアーズロック』という名称は、

19世紀に入りヨーロッパ人たちが

オーストラリア大陸に進出してきた後に付けられた名前だ。

1873年、イギリスの探検家『ウィリアム・ゴス』は、

オーストラリア大陸を探索中に巨大な一枚岩を発見した。

古来よりアボリジニたちは、この一枚岩のことを

『ウルル』と呼んでいたのだが、

ヨーロッパ人たちは『エアーズロック』という

新しい名称を付けたのだ。

エアーズロックの『エアーズ』の部分は、

当時の南オーストラリア植民地の首相であった

『ヘンリー・エアーズ』の名前にちなんで付けらた。

Photo_12 ↑ エアーズロックの名前の由来となったヘンリーエアーズ

「エアーズロックというくらいだから何か空気と

関係があるのだろう。」と思っていたのだが、

エアーズロックの英語のスペルは『Ayers Rock』であり、

空気を意味する『Air』とは何の関係もないようだ。

引用:ジャングルタイムズ

   ↑今日見つけたサイト。なかなか勉強になります。

 

もともとは、先住民アボリジニが呼んでいた「ウルル」は使わずに、

「エアーズロック」で呼ぶようになり、

日本でも「エアーズロック」が普及しました。

 

『ウルル』は、古くからエアーズロックの周辺で生活してきた

アボリジナル・ピープルに伝わる『ピチャンチャチャラ語』。

引用:ジャングルタイムズ(上記)

  

オーストラリアで「ウルル」が使われ始めたのは

1980年頃からだそうです。

それは、先住民の人権がオーストラリアで認められるようになった

現れであると思います。

前投稿で紹介したYoutube オーストラリア ☆ エアーズロック

ではこう言っています。

  

1985年、はるか昔から岩を聖地としてあがめてきた先住民

アナング族のもとへこの地は返還され、岩は「ウルル」という

かつての名前に改められた。

 

地理の教科書にもこう書いてあります。

Epson003↑「新編新しい社会 地理」(東京書籍)110p

オレンジのアンダーラインを引いた文章がとても気になりました。

では、アボリジニの先住権は、それまではどうだったのだろう?

アボリジニの土地の所有権はどうなっていたのだろう?

そんな疑問を持つようになりました。

そして調べました。

そしたら、とんでもない歴史とぶつかりました。

 

つづく

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