「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」/アンドラと出会う
今日は11月19日。
調べものをしていて行きついたブログ「慶喜」。
「心意気」がすごく共感できます。
心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」
う~ん、すごくわかります。
いいこと言うなあ。
もう定年間近の57歳の今だから、
この心意気は共感できると思います。
死ぬ日の直前まで、不老不死の気持ちで、
好奇心にしたがって調べ、このブログを書いていきたいです。
上の画面をスクロールしていくと、
この地図が出てきます。
ヨーロッパの地図です。
この地図で目にとまったのが、
フランスとスペインの国境です。
「アンドラ」?
ここに国があったんだ。
失礼ながらそう思ってしまいました。
他の地図で確かめます。
ピレネー山脈の山中にある国です。
新しい国なのでしょうか?
知らなかった国です。
在アンドラ日本国大使館の「アンドラ紹介」の記事を
引用します。アンドラ紹介
アンドラ公国は,フランスとスペインの国境にある
ピレネー山脈の中腹に位置する,面積468平方㎞,
人口約84000人の小さな国です。
公用語はカタルニア語ですが,スペイン語,フランス語,
ポルトガル語も話されています。(中略)
山間の美しい国であるアンドラ公国には,
世界各地からの観光客が訪れ,その中にはフランス南西部や
バルセロナから足を伸ばす日本人旅行者もいます。
土地柄,スキー等のウィンタースポーツで有名ですが,
それ以外の時期はハイキングを堪能することができます。
また,欧州最大規模の温泉遊園地「カルデア」や
ロマネスク礼拝堂,美味しい料理とワインも魅力の一つです。
アンドラ公国の歴史は古く,839年にウルヘル大聖堂の
聖別証書により,アンドラ人に自治を与えたとされています。
10世紀以来,宗主のウルヘル司教と,
司教から封土としてアンドラを与えられていた
フォア伯爵との間で統治権をめぐる争いが発生した結果,
両者は,1278年に対等の封建領主権(徴税権,裁判権,徴兵権)を
共有する「対等の宗主契約」を結び,以後,
両者がアンドラの共同領主となりました。
共同領主の地位は,司教側で現在に至るまで
代々ウルヘル司教に引き継がれていますが,
フォア伯爵側では当時のフォア伯爵が
フランス王(ブルボン朝初代のアンリ4世)として即位して以来,
フランス国王に引き継がれ,フランス共和国となった後は
フランス大統領に継承されています。
その後,1993年2月に新憲法がアンドラ国会で可決,
同年3月住民投票で賛成多数で承認され,
アンドラは国家として正式に独立しました。
その後,1993年12月に日本はアンドラ公国を国家承認し,
1995年10月に外交関係が開設されました。
このように外交関係の歴史は比較的浅いですが,
基本的価値を共有する日本とアンドラの関係は非常に良好であり,
様々な分野での関係強化が着実に進んでいます。
起源は古い国ですが、
1993年に国家として独立したというので、
新しい国なのでしょう。まだ独立して25年。
やっと認識できました。
重要な産業として観光業があるようです。
最後にアンドラの写真を載せます。
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