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2018年6月10日 (日)

「AI vs 教科書が読めない子どもたち」からの引用4/注意!デジタル化

 

今日は6月10日。

  

前投稿に引き続き、「AI vs 教科書が読めない子どもたち

(新井紀子著/東洋経済新聞社)からの引用です。

  

表層的理解はできるけれど、推論や同義文判定などの

深い読解ができない場合、文章を読むのは苦ではないのに、

中身はほとんど理解できていないということが起こり得ます。

コピペでレポートを書いたり、ドリルと暗記で定期テストを

乗り切ったりすることはできます。

けれども、レポートの意味や、テストの意味は理解できません。に似ています。

AIに似ているということは、

AIに代替されやすい能力だということです。

私が最近、最も憂慮しているのは、

ドリルをデジタル化して、項目反応理論を用いることで

「それぞれの子の進度にあったドリルをAIが提供します!」と宣伝する塾が

登場していることです。

こんな能力を子どもたちに重点的に身につけさせることほど

無意味なことはありません。

問題を読まずにドリルをこなす能力が、

最も AIに代替えされやすいからです。

  

小学生のうちからデジタルドリルに励んで、

「勉強した気分」になり、テストでいい点数を取ってしまうと,

それが成功体験となってしまって、

読解力が不足していることに気づきにくくなります。

中学校に入ってもデジタルドリルを繰り返せば、

1次方程式のテストで満点が取れて、英単語や漢字は

身につきますから、そこそこの成績は取れるはずです。

ところが、受験勉強に向かい始める中学3年生になると、

なぜか成績が下がってしまう。

本人は薄々気づいているはずです。

「なんだか学校の先生が言っていることがわからない」、

「教科書は読んでもわからない」......。

けれども、どうしてよいかわかりません。

だから余計にデジタルドリルに没頭してしまいます。

東ロボくんに散々「ドリル」をさせた私は自信を持って言います。

読解力を身につけない限り、そこから先の成績は伸びません。

読解力のある生徒が受験勉強に精を出し始めると、

読解力のない子の相対的な成績は、むしろ下がる一方になります。

東ロボくんも、いくら憶える英文の数を増やしても、

英語の偏差値は50前後で伸び悩みました。

(229~231p)

 

ここは警鐘ですね。

特に特別支援学級での指導は、

デジタルドリルが多くなりがちです。

読解力の育成をもっと入れなければと反省します。

  

  

新井さんは、アクティブラーニングについても書いています。

  

つまり、教えてもらうだけではなくて、

自分でテーマを決めたり自分で調べたりして

学習したり、グループで話しあったり議論したり、

ボランティアや職業体験に参加したりというのが

アクティブ·ラーニングだということです。

なんだかとても魅力的に聞こえます。

でも、ちょっと待ってください。

教科書に書いてあることが理解できない学生が、

どのようにすれば自ら調べることができるのでしょうか。

自分の考えを論理的に説明したり、

相手の意見を正確に理解したり、推論したりできない学生が、

どうすれば友人と議論することができるのでしょうか。

「推論」や「イメージ同定」などの高度な読解力の正答率が

少なくとも7割ぐらいは超えないと、

アクティブ・ラーニングは無理だろうと私は考えています。

(235p)

  

 

私が驚いたのは、「悪は熱いうちに打て」という

珍答にではありません。

答を知っている者にとっては珍答である解答が、

それを知らなかった4人にとって、

一番確からしい解答になっていく過程に驚いたのです。

つまり、「推論」が正しくできない人ばかりが集まって

グループ·ディスカッションすると、

このような事態に陥ってしまう危険性が

高いことを思い知ったのです。

(237p)

 

  


もちろん、アクティブ·ラーニングは、

必ずしも、正解に辿り着くことを目標としていないことは知っています。

正解に辿り着く方法を身につけさせるのが主眼なのでしょう。
 

たまには結論が間違っても構わない。

また、他者と討論したり、グループで議論したりすることで、

自然と社会性も身についていく。それも狙いなのかもしれません。

現代の社会の中で上手く生きて行くには、

場の空気を読むことは非常に大切で、

論理的に正しいこと正しく推論するとそうなるに違いないことを

主張し過ぎると、窮地に立たされることがあることを、

私も知っています。
 

ですが、正解に辿り着く、あるいは正解に辿り着く手法を

身につけさせるためにアクティブ・ラーニングを

教育に取り入れるのであれば、

少なくとも議論をした後で、
 

事典やなんらかの手段、せめてウィキペディアなどで調べて、

何が正しかったのか、確認できなければしょうがない。

でも、ちょっと待ってください。

彼らはウィキペディアを読めるでしょうか。

なにしろ教科書が読めないのですよ。

せめてRSTの正答率が8割以上にならなければ、

ウィキペディアを読むのは無理でしょう。
 

ネットには「正解そのもの」は書いていないかもしれない。

だとしたら、正しい情報から正しく推論して、

どの答が正しいかを、判断しなければならない。

RSTが測っている「推論」や「具体例」の問題を

遥かに超える能カを前提としているのです。

RSTの2万5000人を超えるデータから断言できます。
 

意味のあるアクティブ·ラー二ングを実施できる中学校は、

少なくとも公立には存在しません。

高校でも、ごく限られた進学校だけです。
 

このような絵に描いた餅が学校現場に導入された責任は、

文部科学省よりもその方針を決定した中央教育審議会、

そしてその構成員である有識者にあります。

私のような一介の数学者がRSTを発明するまで、

なぜ「中高校生は教科書を読めているか」という事実を考えようとも、

調べようともしなかったのでしょうか。

なぜ、数十年前に卒業した中学校の記憶と、

自分の半径5メートル以内にいる優秀な人たちの印象に基づいて、

こんな「餅」の絵を描いてしまったのでしょうか。

(238~239p)

  

  

でも学校では「アクティブラーニング」が行われます。

上のことを知って取り組みたい。

何か手はある。

  

あと1回投稿したい。

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