« 次回は「桜田門外の変」/「隆盛」という名前について | メイン | 日めくりより 楽譜の歴史/猫が寝てた »

2018年5月24日 (木)

5月20日の「西郷どん紀行」より

今日は5月24日。

  

今朝はもう1本!

  

5月20日放映の大河ドラマ「西郷どん」の

「西郷どん紀行」を聞き書きします。

  

ナレーター:奄美大島の名産品「黒糖」

Rimg2784

  サトウキビの育つ温暖な地域で生産される黒糖は、

  薩摩藩の専売品とされ、莫大な富をもたらしました。

Rimg2785

Rimg2786  

Rimg2788

  奄美大島の中央部に位置する大和村(やまとそん)。

Rimg2789

  島民の直川智翁(すなおかわち)がこの地で、

  サトウキビの栽培を成功させたことにより、

  奄美大島の黒糖づくりが始まったと伝わります。

Rimg2790

Rimg2791

  サトウキビづくりは、今も奄美大島を代表する基幹産業で、

  直川を祀った開饒(ひらとみ)神社は、

  地元の厚い信仰を集めています。

Rimg2792

  薩摩藩は、島民たちに黒糖づくりを強制しました。

  「黒糖地獄」と呼ばれたこの政策を、

  西郷は大久保に宛てた手紙で痛烈に批判しています。

  島民たちはソテツ(蘇鉄)の実や幹を毒抜きし

  粥(かゆ)をつくり、食料を確保する生活を

  強いられていました。

Rimg2793

Rimg2794

  そんな島民たちがつくり出した黒糖が、

  薩摩藩の財政を支えていたのです。

   

この「西郷どん紀行」で気になったのは、

「大和村」という名前。

沖縄方言で、「本土の人たち」のことを「ヤマトンチュー」

と言います。大河ドラマの中でも、奄美大島の人たちは

「ヤマトンチュー」を使っていました。

なぜ「本土の人たち」を指す言葉が村名になったか?

  

 ― 「大和」名字の由来、語源、分布 ― 

このサイトには次のように書いてありました。

  

大和浜発祥。江戸時代から記録のある地名。

  

想像するに、本土の人たちがよく訪れた浜に

「大和浜」と名がついたのでしょうか。

確かめたいですね。

お得意のグーグルアースで大和浜に行ってみましょう。

グーグルアース 奄美大島大和村大和浜

  

 

  

ソテツの群生地もビックリ。

ソテツがこんなにある場所があるのですね。

  

 

もう一つ気になったのは、城南海(きずきみなみ)さん。

大和村観光大使で、祖父母が大和村に居住しているそうです。

彼女は奄美市出身。

カサリンチュも奄美大島出身者。気になります。

デビュー曲を聴いてみよう。


YouTube: アイツムギ(full ver.)/城 南海 (きずきみなみ)

縁があったので、次はこの人の歌を

生活のBGMにしようかな。

  

  

今日は朝部活なし。少しゆっくりした朝です。

  

コメント

コメントを投稿

最近の写真

  • Img_8523
  • Img_8520
  • Img_8519
  • Img_8518
  • Img_8522
  • Img_8521
  • Img_8517
  • Img_8512
  • Img_8510
  • Img_8508
  • Img_8507
  • Img_8504

楽餓鬼

今日はにゃんの日

いま ここ 浜松

がん治療で悩むあなたに贈る言葉