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2018年5月24日 (木)

5月20日の「西郷どん紀行」より

今日は5月24日。

  

今朝はもう1本!

  

5月20日放映の大河ドラマ「西郷どん」の

「西郷どん紀行」を聞き書きします。

  

ナレーター:奄美大島の名産品「黒糖」

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  サトウキビの育つ温暖な地域で生産される黒糖は、

  薩摩藩の専売品とされ、莫大な富をもたらしました。

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  奄美大島の中央部に位置する大和村(やまとそん)。

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  島民の直川智翁(すなおかわち)がこの地で、

  サトウキビの栽培を成功させたことにより、

  奄美大島の黒糖づくりが始まったと伝わります。

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  サトウキビづくりは、今も奄美大島を代表する基幹産業で、

  直川を祀った開饒(ひらとみ)神社は、

  地元の厚い信仰を集めています。

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  薩摩藩は、島民たちに黒糖づくりを強制しました。

  「黒糖地獄」と呼ばれたこの政策を、

  西郷は大久保に宛てた手紙で痛烈に批判しています。

  島民たちはソテツ(蘇鉄)の実や幹を毒抜きし

  粥(かゆ)をつくり、食料を確保する生活を

  強いられていました。

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  そんな島民たちがつくり出した黒糖が、

  薩摩藩の財政を支えていたのです。

   

この「西郷どん紀行」で気になったのは、

「大和村」という名前。

沖縄方言で、「本土の人たち」のことを「ヤマトンチュー」

と言います。大河ドラマの中でも、奄美大島の人たちは

「ヤマトンチュー」を使っていました。

なぜ「本土の人たち」を指す言葉が村名になったか?

  

 ― 「大和」名字の由来、語源、分布 ― 

このサイトには次のように書いてありました。

  

大和浜発祥。江戸時代から記録のある地名。

  

想像するに、本土の人たちがよく訪れた浜に

「大和浜」と名がついたのでしょうか。

確かめたいですね。

お得意のグーグルアースで大和浜に行ってみましょう。

グーグルアース 奄美大島大和村大和浜

  

 

  

ソテツの群生地もビックリ。

ソテツがこんなにある場所があるのですね。

  

 

もう一つ気になったのは、城南海(きずきみなみ)さん。

大和村観光大使で、祖父母が大和村に居住しているそうです。

彼女は奄美市出身。

カサリンチュも奄美大島出身者。気になります。

デビュー曲を聴いてみよう。


YouTube: アイツムギ(full ver.)/城 南海 (きずきみなみ)

縁があったので、次はこの人の歌を

生活のBGMにしようかな。

  

  

今日は朝部活なし。少しゆっくりした朝です。

  

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