ハッブルのこと その1/19世紀末のアメリカ天文台建設ブーム
今日は1月22日。
昨年11月24日放映「コズミックフロント NEXT 宇宙の革命児!
エドウィン・ハッブル」を見ました。
面白い番組でした。
この番組について書いていこうと思います。
そして今日から読み始めている本
「膨張宇宙の発見~ハッブルの影に消えた天文学者たち~」
(マーシャ・バトゥーシャク著/地人書館)の内容も
つけ加えていきたいと思っています。
それでは番組の聞き書きをします。
ナレーター:およそ100年前、人びとは天の川銀河が、
宇宙の全てだと考えていました。
ところがハッブルは、その外側に広大な宇宙があり、
それが今も広がり続けていることを発見したのです。
世間は大騒ぎになりました。
「コロンブスは世界の半分を発見したが、
ハッブルは新たな宇宙を発見した」(当時の新聞記事)
「ハッブルはガリレオ以降の400年で
最大の発見を成し遂げた人物です」(現カーネギー天文台長)
いったいどんな人物だったのでしょうか。
(中略)
20世紀もっとも偉大な天文学者と言われるエドウィン・ハッブル。
知られざる人物像と大発見の舞台裏に迫ります。
こうして始まった番組でした。
番組は19世紀末のアメリカの天文台建設ブームを紹介。
19世紀末、アメリカは空前の好景気を迎えていました。
ナレーター:鉄鋼、自動車、石油などの重工業が飛躍的に発展。
富を手にした富豪たちは、都市には高層ビルを、
そして地方にはあるものを建てていきます。
天文台です。
1887年、当時世界最大の望遠鏡を備え付けた
リック天文台が建設されます。
カリフォルニアの企業家、ジェームズ・リックが
建設資金を賄(まかな)いました。
10年後、その記録を抜いたのが、シカゴの鉄道王
チャールズ・ヤーキスが建てたヤーキス天文台です。
冥王星を発見したローウェル天文台が建てられたのも、この時代。
ボストンの資産家、パーシヴァル・ローウェルが建てました。
このように、19世紀末のアメリカでは富豪が
天文台建設に出資しました。なぜ?
同じく天文台建設に出資したカーネギーの言葉が残っています。
「解明されたていない謎を解くために、
世界中の科学者がアメリカを目指すことを願っている」
産業や経済でトップにあったアメリカが、
科学でもトップになることを目指したのです。
ハッブルも1917年にカリフォルニアにできた
ウィルソン山天文台に就職して研究を始めています。
そのことについては、後の投稿に書きます。
リック天文台について、番組ではより詳しく紹介していました。
番組中の小コーナー。
365か所ものカーブがある険しい坂道を登ると、
リック天文台はあります。自動車で約1時間半かかるそうです。
世界で初めての山岳天文台です。
望遠鏡の台座には、何とリックのお墓があります。
亡骸(なきがら)が台座の中にあるのです。ビックリ。
そうまでして名を残したかった?
でも多額の出資をしたなら、そうでもしたかったのでしょう。
その墓標です↓
リックは、天文台の付近に観測員やその家族が暮らす町も作りました。
学校や警察、郵便局もありました。
「科学者の楽園」と呼ばれました。
当時の写真です↓
今もこの町は残り、15世帯の家族が住んでいるそうです。
このリック天文台については、
本「膨張宇宙の発見~ハッブルの影に消えた天文学者たち~」
にも興味深いことが書いてあったので、
次の投稿で書いてみます。
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