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2016年12月23日

2016年12月23日 (金)

通算5100本目の投稿  「真田丸」シリーズ27 天王寺・岡山の戦い

  

今日は12月23日。

昨日が2学期終業式。

終業式が終わると、時間休をもらって

本宮山登山に行くのが恒例でした。

今年も準備をしていましたが、残念ながら雨天。断念。

冬休みのどこかで登りたいとは思っています。

  

明日は、仲間と登山が予定されています。

再び飯田方面の山に行きます。雪はないかなあ、あるといいなあ。

  

  

12月15日放映の「片岡愛之助の解明!歴史捜査 

真田丸 総決算!第三弾~大坂の陣2時間スペシャル~

新説!もうひとつの真田丸 信繁の勝算と誤算」を見ました。

  

その中で印象に残ったこと。

大坂夏の陣での「天王寺・岡山の戦い」(1615年5月7日)です。

  

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↑古地図には、真田幸村が陣をはった茶臼山と、

大野治房が陣をはった岡山口の間には

谷があることが記述されています。

実際にここには谷があり、南からの徳川軍をくいとめる

豊臣側の防衛ラインだったそうで、激戦がありました。

  

番組ではその谷を歩くシーンが出ました。

(こういうのは楽しい、やってみたい)

歴史捜査員と積山さんという方が歩いていました。

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↑谷を歩いていて、南側を見た時の写真です。

2人が立っている場所が、谷底です。

青いのぼりが気になりました。

アップ写真を撮りました↓

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「大坂夏の陣 天王寺口の戦い 激戦の谷筋」とあります。

ちゃんと地元では宣伝しているんだ、

それも「激戦の谷筋」という少し変わったネーミングで。

次の場所でもこののぼりはありました。

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積山さんによると、この谷筋は、

8世紀の終わり、桓武天皇の時代に造られた水路だと

考えられるとのこと。

当時、洪水が頻発したため、排水のために造られた水路のようです。

夏の陣の頃にも、この谷筋は明確に残っていて、

豊臣側は防衛ラインに利用したようです。

大坂城があった場所は上町台地の北部であり、

この谷筋は、台地の南部にあり、

台地で唯一東西につながる谷です↓

Rimg1987   

城郭考古学者の千田嘉博さんが、

豊臣側の作戦を説明してくれました。

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↑豊臣側は、茶臼山と岡山を結ぶ谷筋で、徳川軍を待ち受けます。

先備え・中備えの軍をそのラインにとどめることが目的です。

そうなると、本陣前に隙が生じます↓

Rimg1989  

そうなることを真田信繁は待っていたのです。

茶臼山から軍を率いて家康本陣をねらい、

岡山からも秀忠本陣をねらう軍を出す作戦でした。

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では実際はどうなったか。

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↑毛利勝永の軍が、防衛ラインを越えて攻めてしまったために、

戦線が混乱してしまい、本陣前に隙ができなくて、

本陣への突入はできなかったそうです。

  

ドラマ「真田丸」でも思いましたが、

豊臣側(信繁が中心?)は劣勢ながら次から次に作戦を考えて

実行に移していると思いました。

理不尽に籠城戦となっても、堀を埋められても、

秀頼が出陣しなくても、どうにかしようとしている姿を感じます。

夏の陣の最後の戦いでも上のようにそうでした。

負ければ命がない状況でも、状況だからからかな。

  

人間、もっともっと考えて実行したら、

いろいろなことは成し遂げられそうだと

大坂冬の陣、夏の陣の豊臣方の戦いっぷりを見て

勉強になりました。

  

番組のラストで、真田信繁最期の場所、

安居(やすい)神社が出ました。

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↑ここものぼりがたくさんあります。

「真田丸」が放映されたために多いのかな。

  

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聞き書きします。

ナレーター:記録によると、この地で徳川方の武士と対決した信繁は、

  名を名のらないまま勝負を受け、打ち取られたという。

  そして、徳川方の陣での首実検の際、

  真田家の旧臣によって、信繁の首と確認された。

  

主役の堺雅人さんのインタビューを思い出しました。

大河ドラマ「真田丸」HP

う~ん、今晩はもう遅い。明日は出発は早い。引用は明日にします。

「今川焼き」「大判焼き」・・・「大判」じゃないよなあ

  

今日は12月23日。

  

久々日めくり「雑学王」(TRY‐X)より。

  

「今川焼きの『今川』って何のこと?」

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17b5f5e89dba471299009a568e18678e614 FEELY なんて呼ぶ?今川焼き・二重焼・大判焼・回転焼…呼び方によって出身地がバレる和菓子

  

上のサイトもなかなか内容が面白かった。

「今川焼き」という名前は全国区ではないと知りました。

私の身近でも、「大判焼き」の名前が使われているかな。

  

でも「円形」であって「大判(型)」じゃないよなあとふと思いました。

  

そしたら、Wikipediaの「今川焼き」の説明に、

次のような文章を見つけました。※Wikipedia 今川焼き

  

円盤状の丸い今川焼は後に楕円の小判型(大判型)も広がったが、

平成になって元の円盤状の物に回帰しても大判焼きと呼ぶ店もある。

  

「大判焼き」の名前は、

かつての楕円形の今川焼きが”いわれ”なのでしょうか?

楕円形の今川焼きの画像はないか探しました。

そしたらこの画像↓

O0800060012894064310  

この画像はこのサイトにありました。

ひめぴょんのブログ 岩国西郵便局近くの大判焼きやさん

そこにはこう書いてありました。

 

家の近くの大判焼きやさんに行ってみました。

楕円形は日本でここだけとか、

無添加だとかクリームや餡は上等のを使っているだとか

いろいろ自慢話を聞かされましたが、

本当においしかったです。

ちなみにいわくに西郵便局のロータリーに面しているところ。

小さなお店なので気がつきにくいかもしれませんが、よかったですよ。

  

「楕円形はここだけ」

本当かな?

でも、この形なら「大判焼き」っぽいなあ。
 

  

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