「きのこ雲の下で何が起きていたのか」その2/撮影者は松重美人さん
今日は8月11日。
8月9日・10日と東京に行ってきました。
いい2日間でした。
またこのブログに書くことが増えました。
他にも書きたいことが目白押し。
でも少しずつ書きとめていきたいです。
8月8日の投稿の続きで、昨年の8月6日放映の
「NHKスペシャル きのこ雲の下で何が起きていたのか」
の聞き書きをしていきます。
ナレーター:広島の新聞社(中国新聞社)に厳重に
保管されているものがあります。
「松重美人氏原爆写真オリジナルネガ」と印字されています。
ナレーター:原爆投下の3時間後に撮られた写真のネガです。
投下直後の混乱の中、川で現像されたと言います。
撮影したのは、新聞社のカメラマンだった松重美人(よしと)さん。
爆心地から3㎞離れた自宅で被爆。
カメラを持って街の中心部に向かう途中で、
惨状を目の当たりにしました。
当時、国民の戦意を削ぐような被害の写真は、
撮影を禁じられていました。
松重さんは、それに背いてシャッターを切ったのです。
松重さんの手記:目前に見る多くの負傷者の眼差しが、
私に集中している。
この惨状を写真にして多くの人に伝えてほしいと
言われているように思えた。
撮ることが酷(むご)いことか、撮ることが正当なのか、
私は迷った。
ナレーター:1枚目の写真は、長い躊躇の後、
伝えなければとシャッターを切りました。
10歩近づいて撮った2枚目。
涙でファインダーが曇り、
これ以上撮影することはできなかったと言います。
松重さんが写真を撮ったのは、
「御幸橋(みゆきばし)」と呼ばれる橋の上です。
当時から、街の中心部と郊外を結ぶ重要な橋でした。
撮影された場所には、写真が掲げられています。
そこに写る多くの人々。
なぜここに集まっていたのか。
原爆投下直後、広島を被った(おおった)きのこ雲。
その下で、壊滅地帯となっていた2㎞圏内。
御幸橋は、火災をかろうじて免れました。
そのため、郊外に逃げようとした人が、
ようやく立ち止まれた場所だったのです。
カメラは、人々を橋の中ほどからとらえていました。
(この写真の)右奥が爆心地です。
写っている人たちはどんな状態だったのか?
(つづく)
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