京都の禅寺の庭がきれいな理由
今日は2月20日。
さきほど5分間ほどインターネットが不通状態となりました。
おかげで20分ほどかけた投稿が消滅。ショック。
でもくじけず同じものを打ち始めます。
あの不通状態は何だったんだ?
「英雄の選択」という番組がお気に入りになって、
このブログでもたびたび登場するようになりました。
今回も書きます。
昨年6月25日放映の「英雄たちの選択 迷えるカリスマ足利尊氏
京都か鎌倉か?幕府創設の決断」について。
この回については以前も書きました。
※参考:ここでも道草 根拠のない過剰な報酬・けなしがカリスマを生む(2015年12月12日投稿)
↑この時に書いた内容以外にも、
時々頭の中に浮かんでくる内容があります。
気になって印象に残ったのでしょう。
脳が必要としていると判断して、忘れちゃいかんぞと、
時々思い出させているのでしょう。
書き留めておこうと思います。
足利尊氏は武家として初めて政権を京都に置きました。
室町幕府です。
その結果、地方から多くの武士が京都に移り住んできました。
京都では平安時代からの公家文化と、新しい武家文化の融合があり、
独特の文化ができてきました。
「生け花」「能楽」「茶の湯」
こういった日本の伝統文化の礎が作られたと言われます。
番組ではこういった話の後に、井上章一さんが話されました。
その話が印象に残った内容です。聞き書きします。
ちょっと時代が下がりますけど、
織田信長は本能寺の変で明智光秀に討たれますよね。
本能寺というお寺に泊まっているんですよね。
ホテルがないから寺に泊まるんでしょうね。
特に武士団の(京都での)宿泊が、
文献上現れるのは、南北朝時代からなんですよ。
つまり足利尊氏の時代からお寺は事実上のホテルになるんですよ。
京都の禅寺の庭ってみんなきれいでしょ。
よく手入れしてあるでしょ。
あれは、武士団をもてなすための、ホテルのおもてなしなんやね。
茶だってお花だってお能だって、そういう側面はあるし、
結局、武士が京都に来て寺を定宿にすることによって、
京都もそれなりに生まれ変わったんですよ。
修学旅行の引率でお寺を見て回り。庭も見ました。
この井上さんの話を聞いて見たら、
泊まったであろう武士の視点で見れて面白そうです。
「英雄の選択」はyoutubeで見られます。
近い将来見られなくなる可能性大ですが、
上の聞き書きは下記のyoutube映像の40分過ぎからの場面です。
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