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2016年2月22日

2016年2月22日 (月)

「ダメ!を言わなければ・・・」からの引用その3

  

今日は2月22日。

  

前投稿に引き続き、

「『ダメ!』を言わなければ子どもは伸びる」

(親野智可等著/PHP研究所)からの引用をしていきます。

  

親の愛情に対する信頼感に満たされているのと、

心の底に不信感を持っているのとでは大きな違いです。

これはその子の生涯にわたる人間関係に大きな影響を及ぼすことになります。

親に対して信頼感を持てた子は、

自分を取り巻く他者一般にも基本的な信頼感を持てるようになります。

ですから、その後の人間関係のすべてを

信頼感を土台につくれるようになります。

友達との関係、先生との関係、その他もろもろの生涯にわたる

人間関係のすべてを、信頼感を土台につくることができるのです。

その反対に、親に対する不信感や愛情不足があると、

他者一般にも基本的な不信感を持つようになります。

そのため、親以外の人との人間関係も不信感を土台に

つくるようになってしまうのです。

私が教えたこの中にも、

「どうもこの子は土台に人間への不信感があるな」

と感じざるを得ない子がいました。そういう子は、

たとえば友達と肩がぶつかったとき

「何するんだ。やるのか?」

という反応になってしまいます。

いつも親に攻撃されているので、

「自分を守らなければ」という気持ちが意識の最前線にあるのです。

それが攻撃的な反応になって表れるわけです。

いつも親に叱られてばかりいたら、

いつも親に攻撃されてばかりいたら

(叱るというのは言葉の暴力攻撃以外の何ものでもありません)、

いつも言葉の暴力や身体的な暴力を受けていたら、

こうなるのは当たり前です。

自分の中の満たされない部分が、

いつもマグマの塊になって渦巻いているのです。

それは、何かちょっとしたきかっけで噴出することになります。

反対に、いつも親の愛情への信頼感に満たされている子は、

友達と肩がぶつかったくらいでキレるなどということはあり得ません。

にこにこしながら、

「ごめんね。だいじょうぶ?」と自分から言うことができるのです。

(中略)

この表れ方は、大人になってからも同じです。

犯罪を起こさざる得ない人たちは、

子どもの頃叱らなかったのではなく、むしろその反対なのです。 

(28~30p)

 

  

親野さんは次になぜ親は子どもにひどい言葉を投げつけるかの

理由について書いています。

  

私はたくさんの親たちと接してきてわかったのですが、

親たちはみんな親だから許されると無意識のうちに思っています。

はっきり言えば、親という立場に甘えているのです。

(31p)

親がわが子にひどい言葉をぶつけてしまうのは、

親という立場への甘えだけが理由ではありません。

もう一つ挙げなければならないのは、

親が描いたイメージが最優先されているということです。

(36p)

(親は)こういう子になってほしいという、

あるべきイメージを持っているのです。

でも現実のこどもはどうでしょう?

はるか下を低空飛行です。低空飛行どころか潜水艦状態で、

いつ浮かんでくるかわからない状態です。

「このギャップをどう埋めるのか?」となったとき、

ほとんどの親は「また〇〇してない」「なんで〇〇しないの」

「〇〇しなきゃダメでしょ」などの否定的な言葉の連発になってしまうのです。

もちろん、ここまで引き上げたいという気持ちは、

ある意味とても大切なものでもあります。

でも、こういう気持ちがあるばかりに、

またはありすぎるばかりに親子で苦しんでいる例が非常に多いのです。

こういう気持ちが強ければ強いほど、

親子ともども苦しむことになります。 (37~38p)  

  

  

親野さんはさらに親の抱く「イメージ」についても

考察していますが、また後日その部分は引用します。

  

たくさん引用してきましたが、やっと38pです。

このブログに書き留めておきたい文章が満載の本でした。

「ダメ!を言わなければ・・・」からの引用その2

 

今日は2月22日。

 

「『ダメ!』を言わなければ子どもは伸びる」

(親野智可等著/PHP研究所)からの引用2回目です。

間が空いてしまいました。

  

  

前回の最後に叱られることが多い子は、

親に対して不信感を持つようなると引用しました。

その続きをしっかり引用したいと思いました。

  

「もしかしたら自分は愛されていないのではないか?」

「好かれていないのではないか?」

「あまり大切にされていないような気がする」

「嫌われているのではないか?」

という気持ちが、どうしても出てきてしまうのです。

それはそうです。

「また〇〇してない」

「なんで〇〇しないの」

「〇〇しなきゃダメでしょ」

「これがダメ」「これができていない」

などという否定的な言葉をつねに浴びせられていたら、

誰だって親の愛情に自信が持てなくなります。

子どもも、頭では「お父さんは私のために叱ってくれているのだ」

「お母さんは僕のために言ってくれているのだ」

と考えようとします。

そして、けなげにも自分にそう言い聞かせようとします。

そうでないと、納得できないからです。

でも、やはり、意識のコントロールが利かない

無意識の部分があるのです。

そこでは、自分でも気づかないうちに

「もしかしたら愛されていないのではないか?」

という気持ちを持つようになってしまいます。

これは抑えることができないものです。

なぜなら、自分でも気づいていないからです。 (25p)  

  

  

「無意識の部分」が印象的でした。

意識していたらコントロールできる可能性がありますが、

無意識はいつまにか自分の行動を支配します。

「無意識」という視点を意識している親野さんにビックリです。

  

引用を続けます。

  

このように、叱られることが多くなるにつれて、

親の愛情に対する疑い、愛情不足感、親への不信感、

こういったものが心の底でだんだん大きく育ってしまうのです。

これについて、私はある小学2年生の女の子のことを思い出します。

その日、私は「赤ちゃんとおへそ」という授業をしました。

赤ちゃんはお母さんのお腹の中でどのように大きくなるのか、

へその緒はどんな働きをしているのか、ということを学ぶ授業です。

そして、その授業の最後に、子どもたちが

それぞれ自分の親に書いてもらった手紙を読む時間を設けました。

その手紙には次のようなことが書かれています。

その子がお腹に宿ったとわかったときの喜び、

生活でどんなことに気をつけていたか、

お腹の子どもにどうやって話しかけていたか、

お腹を蹴ってくれてうれしかったこと・・・。

「生まれてきてくれてありがとう。大好きだよ」

という気持ちが伝わるような内容です。

どの手紙にも親の愛情がいっぱいあふれています。

子どもたちはみんな食い入るように何度も読んでいました。

涙を流している子もいっぱいいました。

すると、一人の女の子が私のところに来て涙ながらに言いました。

「先生、私すごくうれしい」

「そうかぁ、うれしいんだね」

「うん、だって今初めてわかったんだもの」

「えっ、何がわかったの?」

「お母さんが私のこと好きだって・・・」

「・・・・」

私は返事に困りました。

その子は、お母さんが自分のことを好きだということが

今初めてわかったと言ったのです。

「生まれてきてくれてありがとう。大好きだよ」

と書いてある手紙を読んで初めてわかったと言ったのです。

つまり、いつもそう感じていないのです。

でも、次の瞬間、私は「やっぱり・・・・」と思いました。

というのも、その子のお母さんは絶えず否定的な言い方で

叱ってばかりいるお母さんだったからです。

家庭訪問、授業参観、学校行事などのとき、

子どもに話しかける言葉はいつも否定的な言い方でした。

生活科の授業で親子で芋きんとんを作ったときも、

「ちゃんと丸めなきゃダメでしょ」

「もっと固めなきゃダメでしょ」

「なんでちゃんと拭かないの」などの連発で、

聞いていて切なくなりました。

決して子どもを愛していないわけではないのですが、

自分の言葉にあまりに無自覚な感じでした。

何か言うとき、すべて否定的に叱る言い方になってしまう人なのです。

このような言い方をされていると、親の愛情に対する疑い、愛情不足感、

親への不信感などが子どもの心の底でだんだん大きく育ってきます。

(26~28p)

  

今度は「無自覚」という言葉が出てきました。

この視点も親野さんらしいかもしれません。

 

この話はまだ続きます。次の投稿で載せます。

  

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