戦争に関する映像「従軍看護婦 激戦地の記録」
今日は12月14日。
今晩がふたご座流星群がピークだそうです。
天気が悪そうだ。
昨日は戦争に関するものを2つ見ました。
8月13日放映の「NHKスぺシャル 女たちの太平洋戦争
従軍看護婦 激戦地の記録」を見ました。
今になって明らかになった激戦地からの従軍看護婦に関する報告書。
そして高齢になった従軍看護婦の方たちの証言。
それらを織り込んだドキュメンタリー番組でした。
充分な医薬品がない中で、次々にけが人が担ぎ込まれる病院。
包帯を洗っては再使用するのですが、
膿がきれいに落ちずに使っていたとのこと。
マラリアが大量発生しているのに、特効薬のキニーネがない状態。
患者を目の前にして手が打ちようにない辛さ。
重症患者の傷口に集まるアリやゴキブリ。
毎日5~6人が死んで行くのを目の当たりにする状態。
埋葬もままならず、そして死体を”捨てに行く”作業。
軍看護婦も爆撃で命を落とす。
爆撃があって、防空壕に避難する看護婦。
重症の仲間の看護婦を、ベットに置いたままで避難をする。
爆撃がすんで防空壕から出てくると、
仲間は祈るように手を組んだままの状態で横たわっていたが、
鼻から上は爆撃で吹き飛ばされていた。
壁に吹き飛んだ肉、脳みそ。
70年経った今でも、この証言をした女性は、
「引きずってでも、防空壕につれて行けばよかった」と涙して悔やむ。
戦争にいいことなし。
番組のラスト。従軍看護婦だった西内清子さん。
戦後間もない時に、偶然元患者だと言う人と再会したそうです。
西内さんの話を聞き書きします。
汽車に乗る時に、
「ラングーンでお世話になりました」という患者さんがいましてね。
それで「こっちに来なさい」って言って早ように
乗せてくれた人がいましたけれどね、
私はもう恥ずかしくて、何とも言えなかったですね。
何が恥ずかしいのだろうと思って次の証言を聞きました。
そういう看護してないから。
「お世話になりました」って言われましても、
私はもう絶対によう言わんかった。
十分に看護してないもん。
最後は涙して証言していた西内さん。
十分な看護ができなかった従軍看護婦の人たちの無念を
象徴しているような証言でした。
冒頭で「戦争に関するものを2つ見た」と書きました。
もう一つは本です。
「トンネルの森 1945年」(角野栄子作 KADOKAWA)です。
このことを書こうと思いましたが、
今朝はもう時間がありません。
また夜書きます。
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