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2015年9月21日 (月)

乾電池の発明者は誰だろう?

 

今日は9月21日。

  

日めくりより。

「乾電池は、なぜ単〇というのか?」  

Epson619  

なぜ「単」がつくか疑問に思っていませんでした。

なぜ疑問に思わなかったの?

この日めくりは、時々問いかけてきます。

  

乾電池の「乾」はなぜだろう疑問に思いました。

これは電池工業会なる組織のHPに説明がありました。

電池工業会 なるほど電池Q&A

1888年、ドイツのガスナーが、電解液でんかいえき石膏せっこうでかため、

持ち歩いても中の液体がこぼれない電池を発明しました。

それまで使われていた、液体がこぼれやすい電池に対して

「乾いた電池」=乾電池と呼ばれ、

この発明によって電池が使いやすくなり

広く世の中に行きわたるきっかけになりました。

  

  

むむむ・・・1888年。

日めくりには1887年に「屋井乾電池」が乾電池の始まりだとあるけど、

どうなっているの?

これまた電池工業会の説明を見つけました。

※参考:電池工業会HP 電池の歴史 1.屋井乾電池

屋井さんは、時計店に勤めていて、

電池で正確に動く「連続電気時計」を発明した人でした。

ただこの時に使っていた液体式の電池では、

手入れが必要であったし、寒さで液体が固まってしまうと、

電池の機能が働かなかったそうです。

そこで乾電池の開発に着手。1887年に発明しました。

 

一部引用します。

  

しかし、日本における乾電池の特許の第一号は屋井ではなく、

高橋 市三郎氏です。

海外ではドイツのガスナー、デンマークのヘレンセンが

1888年に乾電池を発明したことになっています。

  

「発明したことになっています」

とは、微妙な言い方です。

はっきりさせてくださいよと電池工業会に言いたい。

次の歴史も面白い。


明治27年に日清戦争が勃発し、ある日発行された号外で、

満州において使用された軍用乾電池の

大成功に関する記事が掲載されました。

従来、液体型の電池が使われていましたが、

満州の寒気に乾電池だけが使用でき、

号外で「満州での勝利はひとえに乾電池によるもの」

と報道されました。

新聞はこの乾電池が屋井のものであることを聞きつけ、

翌日の新聞にこれを書き立てました。

  

  

日清戦争の裏では、このような乾電池の活躍があったのですね。

いつか授業でクイズで出したいですね。

  

「日清戦争直前に、いま皆さんにとって身近なものが発明され、

日清戦争でおおいに使われました。何だと思う?」

  

   

電池のこと、もう一つ。

「単4」電池は知っているけど「単5」は?

冗談のような疑問。調べてみたら・・・・

  

ありました、単5!

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それじゃあ、「単6」は?

何と、単6もありました!

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それじゃあ、「単7」は?

これはどうも確定できず。

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