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2015年9月23日

2015年9月23日 (水)

ついに「みんなの学校」を見ることができました

 

今日は9月23日。

  

近所の施設で上映会があったので、

映画「みんなの学校」を見てきました。

予告編です。

  

春休みに名古屋市で上映会があったのですが、

いろいろあって行けませんでした。

ラッキーなことに、近所で自主上映会が行われ、

交通費ほぼ0円で見に行くことができました。

  

  

映画「みんなの学校」HPの文章を引用しつつ、感想を書いてみます。

映画「みんなの学校」HP

  

大空小学校がめざすのは、「不登校ゼロ」。

ここでは、特別支援教育の対象となる発達障害がある子も、

自分の気持ちをうまくコントロールできない子も、

みん な同じ教室で学びます。

ふつうの公立小学校ですが、開校から6年間、児童と教職員だけでなく、

保護者や地域の人もいっしょになって、

誰もが通い続けることができる学校を作りあげてきました。

すぐに教室を飛び出してしまう子も、つい友達に暴力をふるってしまう子も、

みんなで見守ります。あるとき、「あの子が行くなら大空には行きたくない」と

噂される子が入学しました。

「じゃあ、そんな子はどこへ行くの? そんな子が安心して来られるのが地域の学校のはず」

と木村泰子校長。やがて彼は、この学び舎で居場所をみつけ、春には卒業式を迎えます。

いまでは、他の学校へ通えなくなった子が次々と大空小学校に転校してくるようになりました。  

  

他の学校へ通えなくなった子まで転校してくる学校!

ここに通っていたら、教師は力がつくだろうなあ。

学級にいろいろな先生が関わっていたと思います。

担任王国ではなくて、いろいろな先生が子どもたちに関わっている感じでした。

校長先生もかかわっています。

映画を見ていて不思議に思い調べたら、

校長先生は1年と6年の体育を担当しているそうです。

6年には特に重度の発達障害の子がいます。

その子たちを含めて、運動会には全員リレーでした。

障害のある子に伴走して走る子がいました。

これもありだなと思いました。

1人では走れない子に伴走がついてリードしてあげるのはいい。

1人でできることだけが立派ではなくて、

寄り添いが必要な子には、他の子が寄り添ってあげるのがいいです。

どうやって寄り添ったらいいか、寄り添われたらどうしたらいいか、

両者にとって大事な体験になると思います。

  

  

このとりくみは、支援が必要な児童のためだけのものではありません。

経験の浅い先生をベテランの先生たちが見守る。

子供たちのどんな状態も、それぞれの個性だと捉える。

そのことが、周りの子供たちはもちろん、地域にとっても

「自分とは違う隣人」が抱える問題を一人ひとり思いやる力を培っています。

映画は、日々生まれかわるように育っていく子供たちの奇跡の瞬間、

ともに歩む教職員や保護者たちの苦悩、戸惑い、よろこび・・・。

そのすべてを絶妙な近さから、ありのままに映していきます。

そもそも学びとは何でしょう? そして、あるべき公教育の姿とは?

大空小学校には、そのヒントが溢れています。

みなさんも、映画館で「学校参観」してみませんか?

  

 

「絶妙な近さ」だと思います。

きっとたくさんカメラを回しているので、

子どもたちや教師にとって、カメラは空気のようになっているのでしょう。

カメラがすぐ近くにあるのに、映る人たちは普通にやりとりしています。

  

  

Photo_2  

校長先生は木村泰子先生。2006年の開校時から大空小学校の校長先生。

子どもと格闘の日々。

木村校長先生がある子に話をします。

その子は大人を蹴ったのです。

思いが十分に伝わったのか、半信半疑状態。

その大人にあやまりに行かせたが、

付き添った先生によるとあまりいい顔をしていなかったとのこと。

でも大人の人が両手を差し伸べたら、握手をしていたとのこと。

そうかあと渋い顔の木村校長先生。

しかし、しばらくしてその大人の人から校長先生に電話が入ります。

握手した時に、その子が修学旅行のお土産の「まがたま」をくれたとのこと。

もらっていいですよねという確かめの電話でした。

校長先生が話した時も、思いが伝わったかどうか半信半疑。

あやまりに行った時にもいい顔をしていなかったのに、

お詫びの品物を渡していたことを知った木村校長先生は叫びます。

「わかりにくいやっちゃなあ!」

その顔はとてもうれしそう。

こういうことってあります。子どもってやっぱり不器用なんです。

共感した場面でした。

  

 

暴力をふるった子にも校長先生が話をします。

なかなか暴力が止まらない子。

しかしその子が、手紙を持って校長室にやってきました。

「僕はもう全体に暴力はふるわない 暴言ははかない」

という宣言が書いてありました。

校長先生は言います。

「その一瞬は子どもは本当に考えています。

一瞬一瞬、その時は子どもは本当にそう考えます。

でも点なんです。

それらの点をどうつなげていくかだね」

そう見るのですね。なるほど。

  

セイシロウくんのお母さんの発言も心に残りました。

前に通っていた小学校では特別支援学級に在籍し、

校内で2時間くらいいるのが限界の子どもでした。

大空小学校では、一日います。

お母さんは次のようなことを言います。

「筆箱を開けて、鉛筆の芯が減っているのを見るとうれしくなります」

「かばんの中がくちゃくちゃになっていると、自分で入れたんだと思い、

これまたうれしくなります」(前の小学校では、先生たち身のまわりの人が入れてくれた)

「上靴が汚れているのもうれしいです。よく活動しているんだと想像できて」

 

学校で、子どもがたくさん活動することが、お母さんにとっては幸せなんだ。

これは高校野球をやっている息子の練習着が汚れていると、

「今日は頑張ったな」と思う自分なので、よくわかる気持ちです。

活動した証をたくさん保護者に伝えないとね。

  

「自分とは違う人間がいることを理解して人と付き合う」

と映画を見ながら、メモをしました。

「自分ができることは他の人もできるとは限らない」

「そういうことをわかって動きなさい」

校長先生がそう言って注意していたと思います。

  

「障害のある子とずっと一緒にいると、周りの子どもたちが変わる」

そんなメモもしました。

 

”障害やその子が抱える状況”を付き合っていく中で知って、

周りの子たちが適切な行動ができるようになってくる。

  

大空小学校では、そんな理想をめざして頑張っています。

私も頑張ろう。

 

  

今日はスコットランド戦/魚のようなスイカ

  

今日は9月23日。

  

ラグビーW杯。

「プロフェッショナル 仕事の流儀」でヘッドコーチの

エディ・ジョーンズさんのことを知ってから、関心をもつようになりました。

※参考:ここでも道草 見城徹さん、エディ・ジョーンズさんの記事(2015年5月4日投稿)

初戦で南アフリカを撃破。すごいすごい!

今日はスコットランド戦です。

にわかラグビーファンとして応援したいです。

  

  

話は変わって、スイカの話。

先日台所でスイカを切っていた奥さんが

「魚みたい!」と叫びました。

のぞきに行って、なるほどと思いました。

Rimg3811  

スイカが大すきな私ですが、もう終わりが近い。

秋ですよ、もう。

  

例外の本「汚名~第二十六代沖縄縣知事 泉守紀」

 

今日は9月23日。

  

連休中にじっくり繰り返して見ている番組があります。

2本。

2015年6月14日放映の「NHKスペシャル 沖縄戦全記録」

8月20日放映の「英雄たちの選択 ”命どぅ宝” 沖縄県知事

島田叡(あきら)からの伝言」です。3回通り見ました。

後者の番組も、1945年1月に沖縄に赴任して、

沖縄戦時の行政のトップを務めた島田知事の話なので、

2本とも沖縄戦ことなのです。

  

番組についていずれこのブログに書きたいと思っていますが、

その前に、昨日調べてわかったことを書きます。

  

島田叡は現在のように選挙で選ばれる知事ではなくて、

中央政府から任命される官選知事でした。

島田が選ばれたのは、1945年の1月でした。

沖縄県で最も評判のいい知事として名が残る島田叡ですが、

その前知事は、逆に最も評判のよくない知事です。

上記の「英雄の選択」でも、「とんでもない前知事」と言われていました。

在任中の1944年の10月に、那覇が空襲を受けた時には、

いち早く避難をして安全な場所に逃げました。

なにかと理由をつけて出張に出かけ、

危険な沖縄県にいる時間が少ない知事でした。

他県への転任を画策し、1945年には香川県知事となっています。

軍部と対立して、疎開を進めなかったために、

沖縄戦で多くの住民が巻き込まれて亡くなったとされています。

「英雄の選択」では、前知事の名前は出ませんでした。 

  

ここまで批判される前知事に興味を持ちました。

非難されることがわかりきっていることをなぜ行ったのか。

戦後どのように生きたのか知りたくなりました。

  

調べました。

名前は泉守紀(しゅき)。

泉知事に対する批判は、あちこちのサイトで見ることができました。

たとえばここ↓

※参考:小名木義行 ねずさんのひとりごと 沖縄の二人の知事・・・泉守紀と島田叡

引用します。

  

この男、頭は空っぽだけど、態度だけはでかい。

  

泉は、在任一年半のうち、三分の一近い175日間もの間、

沖縄県を留守にしています。

どこに行っていたのかと言うと、東京との調整と称して、

風雲急を告げる沖縄をほったらかして、ずっと中央に逃げていた。 

  

年が明けて米軍上陸必至の情勢になると、

大蔵省幹部の実兄に宛てて転任工作を依頼する手紙を出し、

自らも上京して、沖縄を去り、見事、

裏からの根回しを成功させて、香川県に去ってしまった。

悪く考えれば、泉知事は、沖縄がヤバイとなったとき、

県知事という職を利用して、中央や軍、

あるいは県庁職員の疎開案に、ことごとく反対し、

そのことで沖縄県民の安全を人質にして、自分ひとりだけ、

そこからうまく逃げ出す算段をしたとすらいえる。 

  

泉は、香川県知事として終戦を迎え、

その後も団体役員などを歴任したうえ、

昭和59年、86歳で天寿をまっとうしています。

  

こういうもっともらしい理屈をいう卑怯者というのは、

古来、どこの世界にもいるものです。

こういう連中には共通点があって、何かあると、

問題点を指摘するにとどめて、具体的意思決定は、

次々と先送りする。

  

約十万人の沖縄県民を死に至らしめた全責任は、

疎開を故意に遅らせた泉沖縄県知事にある。

  

非常に厳しい批判です。

このような批判をたくさん読んだ後に、次の文章に出会いました。

 

最近に至るまでさまざまな評伝は、

(泉)知事を「戦場から逃げた臆病で卑怯な県知事」として

定説化していたが、ここに一冊の例外が現れた。

※引用:大城将保の【おきなわ百話】(41)泉知事の「汚名」の真相

  

その例外の本がこれ↓

Photo  

上記のサイトからさらに引用します。

  

野里洋著『汚名-第二十六代沖縄県知事 泉守紀』

(講談社 1993年12月)である。

野里氏は泉元知事の消息を探し続けていたが、

戦後40年目にして埼玉県の自宅をさがしあて、

泉夫妻にインタービューを行うとともに

秘蔵の日記帳を閲覧する機会に恵まれた。

取材の経緯や日記の内容については

『汚名』の原本にゆずるとして、同書を一読して強く感じたことは、

「戦場化沖縄から逃げた臆病で卑怯な県知事」という風評が、

当時の沖縄県守備軍によって意図的に

ばらまかれたものであったという驚きであり、

今なお、同様のデマが沖縄現地でも受け継がれている

恐ろしさであった。

  

もともと泉知事は根っからの軍隊嫌いであり、

行政官僚としての使命感から次々突きつけてくる

軍の不条理な要求には屈することがなかった。

   

強い信念に基づいた強硬な姿勢が軍部から非難され、

やがて泉知事攻撃へと発展して軍部の片棒をかつぐ新聞などの

泉攻撃キャンペーンに発展していく。

沖縄守備軍が県下にばらまいた泉知事攻撃の

ネガティブキャンペーンは戦後まで受け継がれ、

今日にいたるまで泉知事の「汚名」が清算されたとはいえない。

  

  

真実はどうなのだろう。

きっと泉知事に責められるべきことはたくさんあったと思われますが、

もしゆがめられた真実があるのだったら正して、

正当に出来事を見たいと思いました。

「汚名」を読んでみたいけど、地元の図書館にはなかったです。

しかし、田原市の図書館にはあった!

  

  

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