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2014年3月22日

2014年3月22日 (土)

付録だった「上原浩治物語」

 

今日は3月22日。

  

前投稿のつづき。

  

ニュースで見かけた上原浩治投手の漫画本が欲しいと思いました。

インターネットで調べていたのですが、すぐに検索できると思いきや、

なかなかヒットしませんでした。

あきらめかけていた3月中旬。ヤフーオクションで、上原浩治投手のマンガ本が出されました。

上原浩治物語

(高橋功一郎まんが/市田実プロット/小学5年生4月号付録 平成12年4月1日発行)

  

「これだ!」と思いました。

「そうか、付録だったので、なかなかヒットしなかったんだ」と納得。

滅多にやったことのないオークションに参加して、競争者なしで落札しました。

  

そして今日届きました。

すぐに読みました。

しかし、ニュースで見た漫画本ではありませんでした。

20090101_00000020   

でも19歳のことは描かれていました。

Epson379  

この頑張りのきかっけは、お兄さんだったようです。

憧れのお兄さんにこう言われます。

  

「なんの才能もない」と嘆く、上原投手。

お兄さん「おまえにあるやないか!!」

     「どんな困難からも逃げない才能があるやないか!!」

     「中学や高校もパッとせえへんかったけど おまえは逃げんかった!」

     「逃げずに6年間努力し続けた!」

Photo

     「これはすごいことなんやぞ 浩治!」

     「ハンパ者にできることやない!」

     「どんなことからも逃げずに立ち向かっていくーーー。」

     「それがお前の・・・・上原浩治の才能なんや!」

  

  

パッとせんのに逃げずに努力をし続けたことがすごい。

お兄さんにこう言われて、上原浩治投手は、19歳の1年間を過ごします。

上原投手の生年月日を調べたところ、1975年4月3日でした。

なるほど、4月3日。19歳はほとんど浪人だったというわけです。

  

漫画本の中で、桑田真澄投手からもアドバイスをもらっています。

  

桑田選手と2人で食事をする上原選手。

食事中にワインを飲む桑田選手を見て、上原選手がこう言います。

上原「あれ、桑田サン、お酒はやらないんじゃ・・・。」

桑田「赤ワインは別だよ。体にいいんだ」

   「あと豆とかゴマ・・・野菜、魚、シイタケとかをよく食うな。」

   「全部百利あって一害なしの食品さ!」

上原「く・・・・くわしいですね、さすがだなぁ!」

桑田「オレには野球の才能ないからなあ。これくらいやんないとね。」

上原「桑田さんに才能がない?まさか!そんなバカな!」

桑田「いや、実際そうだよ。ボクは体が小さいからね。」

   「キミみたいに身長のあるやつがうらやましいよ。」

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桑田「でもな、ボクには努力する才能があると思ってる!」

   「努力は肉体の才能を超えるんだ!」

  

いいこと言いますね、桑田選手。

私が探している漫画本ではありませんでしたが、いい本でした。

  

平成10年のドラフトで上原投手は巨人に入団しました。

平成11年は20勝をあげ、最多勝利投手になりました。

その他にも、最多奪三振、最優秀防御率、新人王、沢村賞などの賞を獲得。

そしてこの漫画本は、平成12年の4月発行です。まだ2年目を迎える春の本です。

こんな本ができてしまうほど、上原投手のデビューした1年は衝撃的でした。

  

さあ、またニュースで出てきた漫画本を探そう。

  

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昨年10月31日のニュース/背番号「19」

 

今日は3月22日。

  

昨年の10月31日のニュース「ニュースウォッチ9」は、

録画したまま消さずにとってありました。

そのニュースでは、アメリカボストン時間で10月30日に行われた

ワールドシリーズで優勝を決めた上原浩治選手の特集でした。

  

上原投手の背番号「19」にまつわる話は印象に残りました。

高校卒業後、大阪体育大学に合格できず、予備校に通いました。

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予備校の先生が語ります。

  

(アナウンサー)当時英語を教えていた、前田治さん。

勉強にもトレーニングにも妥協しない上原投手の姿が、

強く印象に残っていると言います。

(前田先生)スポーツジムに行って、トレーニングして、

その後バイトしていますからね。夜ね。

それを1年間続けている。で、無遅刻無欠勤。これはすごいなあと。

  

そんな予備校時代の様子がマンガで出てきました。

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このマンガが読みたくなりました。

   

1年後、再び大阪体育大学を受験して、上原投手は合格します。

野球部に入ります。

浪人時代の地道なトレーニング賜物で、伸びのある速球を投げる投手になっていました。

大学の監督がこう言っていました。

  

自分の夢を叶えるために、日々努力して、

走り込みはすごく人一倍二倍三倍と走る子なので、

見習えというてもできないと思います(笑)。

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平成10年に巨人軍入団。

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予備校の前田先生がまた語ります。

  

19歳の1年一番苦しかった。自分の中で。

頑張ろうと思うねんけど、くじけそうになったりね、けどやらにゃあいかん。

それを我慢して忍耐強く頑張り切るという1年間は

一番しんどかったと(上原投手は)言っています。

  

そしてアナウンサー。

  

上原投手が自ら希望した背番号は「19」

辛かった19歳の1年間。

しかしあの1年間があったから今の自分がある。

そんな思いが込められていました。

  

知らなかった。上原投手の背番号に込められた思い。

そしてワールドシリーズ優勝。

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いい話だなあと思いました。

挫折したあと踏ん張った年を大事にしている上原投手は素晴らしい。

私にとっても、就職浪人をした1年を大事にしてきたつもりです。

「道草」という言葉を使い始めたのも、その年がきっかけでした。

もう一度、あの年のことを思い出したい。

初心は確かに持っていました。

  

  

その上原投手の漫画本が欲しいと思いました。

そのことを次の投稿で書きます。

  

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3月16日放映「軍師官兵衛」/木津川の戦い/宇喜多直家

 

今日は3月22日。

  

久々の投稿です。

うちたいことはたくさんあり。

今日はうつぞう!

  

3月16日放映の大河ドラマ「軍師官兵衛」は面白かったです。

冒頭で、織田信長の水軍と毛利水軍の戦い「木津川の戦い」が描かれました。

この戦いで信長の水軍が敗れたことで、

播磨の武将が毛利につくか織田につくか揺れます。

黒田官兵衛は、毛利側の宇喜多直家を調略(ちょうりゃく)させるべく動きます。

この宇喜多直家が、けっこう曲者でした。

殺されるのではという不安を抱えて、官兵衛は直家の元へ出向きます。

  

と、そんな話でした。

  

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木津川の戦い」の写真を載せました。

(ちょうど石川県知事選の速報が入ってしまい残念)

  

ナレーターはこう言っています。

  

天正4年7月。摂津の木津川河口で織田と毛利の水軍が激突した。

火矢と焙烙玉(ほうろくだま)による攻撃を展開した毛利水軍の前に、

織田水軍はなすすべもなく壊滅した。

毛利の勝利によって、織田包囲網は勢いを増し、

それは播磨をも大きく揺るがすこととなる。

  

「木津川の戦い」についてあまり知りませんでしたが、興味をもちました。

焙烙玉について。

  

料理器具である焙烙、ないしはそれに似た陶器に火薬を入れ、

導火線に火を点けて敵方に投げ込む手榴弾のような兵器である。

手で直接もしくは縄を付けて遠心力を使った投擲が行われ、敵兵の殺傷を主目的とした。

(Wikipedia)

  

焙烙という料理器具の写真を探しました。

20090328 http://chamusume.seesaa.net/article/116467531.html

  

大河ドラマに出てきた焙烙玉は球形でした。

このような取っ手はついていなかったけど、

もしかしたら、初期の焙烙玉は、このような取っ手があったのかなと想像します。

Wikipediaの説明通りに、焙烙玉は縄で巻いてあって、ぐるぐる回して遠心力を使って、

敵船に投げ込んでいました。

この焙烙玉を防ぐために、信長は鉄甲船を作らせたそうです。

鉄甲船は、漫画本「へうげもの」1巻に出てきたなあ。

※参考:ここでも道草 お薦めの「へうげもの」(2011年10月25日投稿) 

   

宇喜多直家の演じていたのは、陣内孝則さんでした。

ピッタリの役でした。

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Rimg9943  

宇喜多直家・・・調べてみました。

毛利に仕えていましたが、最後は織田に仕えた戦国大名でした。

 

一度は武家の最下層にまで転落した身から復活する為に、

暗殺・毒殺の他、妻の実家や娘の嫁ぎ先を滅ぼして

結果的に妻や娘を自決に追い込む等血なまぐさいエピソードから、

同じく権謀術数の限りを尽くした毛利元就の様に英雄・英傑とは呼ばれず、

血も涙も無い腹黒い人物とされ、著作によっては悪人の代名詞とされる事が多い。

※引用:ニコニコ大百科

  

このような「悪人」の雰囲気プンプンの陣内孝則さんでした。

宇喜多直家の息子が秀家。

関ヶ原の戦いに出陣した大名では、最も長生きしたのが秀家でした。

西軍に出陣して負けたので、八丈島に流された秀家は、1655年まで生き抜きました。

そんなことも今回知りました。

 

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