再会「火災旋風」
今日は9月4日。
慌ただしい日々ですが、昨日と今日で次の番組を見ました。
「MEGAQUAKE 巨大地震 よみがえる関東大震災 首都壊滅 90年目の警告」
ここで、以前調べた「火災旋風」のことが出てきました。
写真の広場は、私の記憶では「元陸軍被服廠跡地」です。
なぜかこの番組では「広場」でした。
この広場に、関東大震災で4万人の人たちが避難してきたそうです。
この写真の数時間後、広場は下の写真のようになりました。
3万8千人の命が奪われたそうです。
なぜこんなにたくさんの人がなくなったのか。
何が起こったのか。
私が調べたのは、う~んもう15年ほど前かな。
その時に知った「火災旋風」という言葉が、番組を見ていて思い出しました。
そして番組にも「火災旋風」が出てきたのです。
「広場」ではこの「火災旋風」が起こって、多くの命を奪ったのです。
この絵も見た覚えがあります。
本物を見ました。
いつだったかいずれ調べますが、この絵がある場所に行きました。
東京都慰霊堂と隣接された復興記念館に行きました。
「広場」にできたものでした。
そこにこの絵はありました。
東京都慰霊堂では、関東大震災を体験された方と話をしました。
その方は、慰霊堂にあるたくさん遺骨を守っている人でした。
遺骨の入ったたくさんの白い壺のある部屋に案内してもらいました。
あまりに被害が大きくて、家族・親戚がほとんど死んでしまったために
引き取り手がない遺骨だと教えてもらいました。
広場で多くの死体が一緒に火葬されたために誰のかわからない遺骨でもあります。
白い壺が四方の壁いっぱいに置かれていて、その中央に机がありました。
そこにコップ1杯の水。
水を欲しがって死んでいった人たちを慰霊するための一杯だったのです。
関東大震災だけでなく東京大空襲で命を失った人たちの遺骨もありました。
物忘れの激しい自分でしたが、この時の記憶はわりと鮮明です。
衝撃が大きかったのでしょう。
火災旋風で飛ばされたトタン屋根の破片も見ました。
こんなのがものすごい勢いで飛んできたら、人間はひとたまりもないなと思いました。
番組で関東大震災当時7歳で現在97歳の方が出てきました。
「火災旋風」に巻き上げられ落とされた人、
どこかに飛ばされた人もいたと市川さんは証言していました。
「助けて」という声を聞いているんだ。
辛い体験です。
関東大震災から90年の今年。
その当時7歳の人でさえ97歳。
その人の語りは貴重です。
番組では、関東大震災への募金活動の様子も紹介されていました。
国内だけでなく外国でも募金が行われたそうです。
ロンドンでの映像が出てきました。
感謝です。ありがたいです。
募金で集まった金額は1800億円にのぼるそうです。
明日の晩8時 NHKBSで放映される「BS歴史館」も関東大震災のことです。
録画しておいて、またじっくり見てみたい。
付録
9月4日TV「MEGAQUAKE 巨大地震 よみがえる関東大震災 首都壊滅 90年目の警告」(2013年8月31日放映)
〇1923年9月1日11時58分 〇地震学者 今村明恒 〇東京大学 纐纈一起教授
〇今村式地震計 〇プレート境界型地震 〇火災旋風 〇国内・外国で募金 1800億円
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