H25 1月の花々2/ロウバイ2
今日は1月27日。
ロウバイ(蝋梅)
前回はここ→※6月中旬の花々13/ロウバイ他
この時は実の話でした。
今回はいよいよ花です。
6月に撮影した同じ木です。向かいの家の庭にある木です。
このロウバイの写真を、花カメラにうんと久々に投稿してみようと思います。
しばらく縁が遠のいていた花々シリーズが少しずつ復活です。
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今日は1月27日。
ロウバイ(蝋梅)
前回はここ→※6月中旬の花々13/ロウバイ他
この時は実の話でした。
今回はいよいよ花です。
6月に撮影した同じ木です。向かいの家の庭にある木です。
このロウバイの写真を、花カメラにうんと久々に投稿してみようと思います。
しばらく縁が遠のいていた花々シリーズが少しずつ復活です。
今日は1月27日。
11月27日以来の「花々」シリーズです。
※9月の花々14/ホンアマリリス・ヒガンバナ・コミカンソウ(2012年11月27日投稿)
9月が完結していないし、10~12月は全く書いていませんが1月をスタートさせてしまいました。
勤務校にアンズ(杏)があることを知ったのは昨年のこと。
それまではウメだと思っていました。
3年前には、ウメだと思い込んで観察しています。
※今日にでもウメの花が咲きそう(2010年2月26日投稿)
しかし、アンズです。
3年前は2月26日・27日で咲いたようです。
今年はどうなるか?
定点観察を子どもたちに呼びかけてスタートさせたのが、1月24日。
その日の写真です。
アンズの木
アンズの冬芽(ふゆめ)
同じ1月24日のサクラの冬芽です。
こちらはまだまだ。
アンズ、サクラときたら、忘れちゃいけないのがウメ。
勤務校の玄関前にあるウメの冬芽です。
もう冬芽というより、つぼみですね。
咲いたらまたブログに載せたいです。
まだまだ寒いけど、でも早くも春が来てますよ。
冬でさえもあっけない。
今日は1月27日。
番組「歴史秘話ヒストリア いつだって天文ゴールドイヤー
星々と日本人 はるかな物語」(昨年9月12日放映)からです。
この話も、ぜひここに書き留めておきたい内容でした。
1958年。オランダの天文学者ヤン・オールトは、
かに星雲から、これまで観測されたことがない電波をとらえました。
それは古い星が爆発し、そこから新しい星が誕生する超新星爆発を示す証拠。
星の誕生のナゾに迫る世界で初めての発見でした。
この発見の手がかりになったのが、ある日本人の日記でした。
最近の日本人ではありません。
藤原定家(1162~1241年)です。
彼の書いた日記「明月記」に次の記述がありました。
(1054年)4月の中頃のこと。東の空 天関星(てんかんせい)の付近に明るい星が現れた。
この記述が手がかりになりました。
天関星があるのはカニ星雲のある方向であったので、
調べてみてわかりました。
900年前の星の輝きが、星の爆発であることを解明したのです。
時空を越えた、なんと雄大な話ではありませんか。
ここで疑問。
1054年は定家が生まれる前のことだぞ?
調べてみました。
「明月記」には、定家自身の体験に基づかない記述もあるそうです。
伝わってきた内容を書き留めたということです。
これが貴重な資料になりました。
今日は1月27日。
番組「歴史秘話ヒストリア いつだって天文ゴールドイヤー
星々と日本人 はるかな物語」(昨年9月12日放映)からです。
1900年。地球の自転軸のズレを解明するために、
国際共同天体観測が行われることになりました。
北緯39度8分にある場所で一斉に天体観測することになりました。
この共同観測に日本も参加することになり、
水沢(岩手県奥州市水沢区)に観測所が作られました。
日本は天文学者木村栄(ひさし)さんを中心に観測を行い、
事業を成功させました。
この水沢にあった観測所を訪れた作家が、
宮沢賢治(1896~1933年)でした。
訪れたのは大正13年(1924年)のこと。
その1年4ヶ月前に最愛の妹を失っていた宮沢賢治。
悲しみを抱えながら、望遠鏡で暗闇に輝く星を観察したそうです。
その数ヵ月後に、賢治は「銀河鉄道の夜」を書き始めます。
つまり名作の誕生のきっかけになった観測所だったのです。
この偶然の重なりがいいなと思いました。
観測所について調べました。※参考:Wikipedia 水沢VLBI観測所
宮沢賢治に関する記述を引用します。
花巻農学校(現・岩手県立花巻農業高等学校)の教師をしていた宮沢賢治が、
たびたび水沢緯度観測所を訪れており、数々の名著の構想を育んたとされる。
童話『風野又三郎』(『風の又三郎』の先駆作品の一つ)には水沢緯度観測所の一文が書かれ、
『銀河鉄道の夜』の題材のヒントになったとされている
(『風野又三郎』では、水沢緯度観測所でテニスに興じる「木村博士」が登場する)。
旧緯度観測所の本館を保存した奥州宇宙遊学館では、
「宮沢賢治と緯度観測所」として、賢治とこの地方の関わりについてたどっている。
また、賢治をモチーフとした「又三郎」がマスコットキャラクターとして使用されている。
う~ん、今度は「風の又三郎」に興味を持ちました。
昔読んだような・・・・気のせいだったかな。
でも観測所のことは覚えがないので、また読んでみたい。
ちなみに下は奥州宇宙遊学館のマスコットキャラクター。
今日は1月27日。
「ヒストリア 天文」の続編。1月15日の投稿のつづき。
番組「歴史秘話ヒストリア いつだって天文ゴールドイヤー星々と日本人 はるかな物語」(昨年9月12日放映)からです。
映画「天地明察」のレンタルが始まるのが2月2日。
迫ってきました。
この「歴史秘話ヒストリア」でも渋川春海が扱われました。
江戸時代のはじめ、日本では10種類もの暦が使われていて、
日付がバラバラでした。
なぜそんなに暦があったかというと、
大元の暦が不正確だったためです。
日本では宣明(せんみょう)暦という中国の暦を使っていました。
この暦が日本に来たのは平安時代。
800年の月日がたつ間に、誤差が積み重なり、
不正確になったというわけです。
人々は宣明暦を信用せずに、それぞれ独自の暦を作っていたので、
混乱が生じていました。
1667年、幕府は暦の統一に乗り出します。
その任についたのが渋川春海でした。
渋川春海が見つけ出したのが、400年前に中国で作られた授時(じゅじ)暦でした。
授時暦は、宣命暦よりもすぐれていましたが、
それでも日食の予想が外れてしまいました。(延宝3年5月1日)
春海は日食なしと予想しましたが、日食が起こってしまいました。
春海はなぜ外れたのか長く検討して(8年)、
やはり授時暦も中国の暦であるため、日食であることを外したと結論を出しました。
日本独自の暦をつくることが必要と考えて、暦づくりに取り組みました。
1863年、春海は暦を完成させました。
この暦は、日本の統一された暦に採用され、初の国産暦となりました。
春海が作った暦には、今に残る言葉も書かれていました。
「八十八夜(はちじゅうはちや)」
「二百十日(にひゃくとうか)」
今回書いたようなことが、映画「天地明察」で描かれているわけで、
楽しみです。2月2日と言えば来週の今日。もうすぐだ。