「北条義時」より・・・調伏・天皇上皇に逆らうこと
今日は1月3日。
1日~2日は奥さんの実家でゆっくりしました。
1日はドラマ「御鑓拝借」「相棒」を見て、
2日は「箱根駅伝」を見ました。
日体大が往路優勝。じっくり見ました。
なのに、1年経つと「どこが優勝したっけ?」となります。
どういうこと?もう少し記憶さん、しっかりしてよ。
昨日に引き続き、半世紀前に出版された「北条義時」(安田元久著/吉川弘文館)より。
後鳥羽上皇は、公家社会で最も頼みとした神仏の加護を重視して、
延暦寺・東寺・仁和寺などに命じて、
五月の初めから義時調伏(ちょうぶく)の修法を秘密裏に行わせた。
調伏とは仏の力に頼って怨敵を降伏させたり、
あるいは人を呪詛(じゅそ)して殺すことであって、
そのための祈祷が行われたわけである。
近代人の意識からすれば、呪詛とか調伏とかはおよそ無意味かも知れない。
しかし中世の人々にとっては、公家といわず武士といわず、
また一般の農民・庶民に至るまで、誰しもが、これを信じ、
仏の力によって絶大な効果をあらわすものと考えていた。(190p)
これも興味深い話です。調伏呪詛の力が信じられていた時代もあった。
鎌倉時代がそうだった。
そういう前提は、歴史を見ていくときに大事だと思います。
承久の乱の直前の話。
軍事の上からみれば義時の勝算はまず間違いないであろう。
しかしここに一つの、しかも最も重大な障碍(しょうがい)があった。
それは「一天万乗の君」に向って攻撃をしかけることの不利である。
中世の武士たちの意識の中にも、天皇や上皇に向って弓を引くことを、
道徳的な悪であるとする傾向は強く、また決定的であった。(192p)
承久の乱は、今考える以上に、武士にとって勇気のいる戦いだったようです。
「障害」ではなくて「障碍」でした。
「碍」という漢字に馴染みなし。
「碍子(がいし)」は「電柱や鉄塔に取り付ける絶縁体の器具」のこと。
会社「日本碍子」も1986年に「日本ガイシ」に社名変更しています。
なかなか出会えない漢字です。
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