69年前の1943年プロ野球/惜別・榎本喜八
昨日、4月30日の巨人ー阪神戦は0-0の引き分けでした。
インターネットのニュースで、「阪神が巨人と69年ぶりの0‐0引き分け 」とありました。
69年ぶり。今は2012年だから、69引くと1943年(昭和18年)。
1943年のプロ野球
1943年は沢村栄治最後の年。勝つことができなかった年です。
1943年7月に最後の登板。10月に代打で出場。これが沢村最後の出場。
1944年12月に戦死。
1941年。1942年と巨人で活躍した広瀬習一は、1943年は戦地へ。投げられない年でした。
1944年9月に戦死。
広瀬習一のライバル、南海の神田武夫も1941~1942年に活躍しましたが、
1943年病死。
※参考:「戦火に消えた幻のエース」 広瀬習一と神田武夫html
阪神のエースは若林忠志。監督兼選手として活躍していました。
1943年も24勝しています。若林は戦後も活躍します。
名古屋軍の石丸進一は、大活躍した年。20勝12敗。
名古屋軍は石丸進一の活躍で2位となります。石丸進一は1945年5月戦死。
1943年。優勝したのは東京巨人軍。
以上、最近勉強したプロ野球の歴史の知識で、1943年を書いてみました。
この年に0-0引き分けの試合があり、昨日69年ぶりに引き分けでした。
榎本喜八も、休んでいる間に知った野球選手。
4月29日朝日新聞夕刊に榎本喜八の記事が載っていました。
出会った時には、もう亡くなられていたのですが、
出会えてよかった。生真面目万歳。
コメント