「藤原氏の正体」1 大化の改新異説
今日は4月21日。再スタートから8日目。
NHKが2月に放映した
「さかのぼり日本史 平安時代 藤原氏はなぜ権力を持ち続けることができたのか」(4回シリーズ)を見たため、
最近の私のブームは「藤原氏」です。
本「藤原氏の正体」(関裕二著/新潮文庫)を読みました。
いろいろ新しい説があったり、知りたいと思っていたことが書いてあったりと、
楽しんで読みました。
たとえば・・・・
大化の改新。
正義:中大兄皇子、中臣鎌足
悪:蘇我蝦夷、蘇我入鹿
といったイメージがありますが、著者はこれを否定していました。
なぜ蘇我氏を討ったのかというと、
蘇我氏が百済救援に消極的だったからです。
中臣鎌足は百済救援をしたかったのです。
実は、鎌足は人質で日本に来ていた百済王(王子)の豊璋(ほうしょう)だったという説です。(これが大胆な説)
一度は新羅・唐の連合軍に滅ぼされた百済は、
人質になっていた豊璋をたてて国を再建しようとします。
日本の力をかりて、百済と連合軍が戦ったのが、
白村江の戦い(はくすきのえのたたかい、はくそんこうのたたかい)です。
百済援助に消極的だった蘇我氏を討って、
実権が中大兄皇子にあったから、日本は出兵したというわけです。
藤原氏の祖である中臣鎌足は、百済出身の日本人ではなかったという説は、
それ以後の藤原氏の動きにも関係あります。
日本は孤島だったこともあって外敵の侵略がなく、お人よしの性格が形成され、
古代豪族たちは合議によって政治を進めてきました。
しかし、藤原氏は違いました。
他の有力な勢力をつぶして、藤原氏だけが繁栄することを目指しました。
これは、藤原氏が大陸から来た勢力であって、生き残るために他を陥れる性格だったからです。
さあ、皆さんはどう思いますか?
面白いでしょ。(つづく)
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