藤原良房が摂政になる
今日は4月18日。再スタートから5日目。
2月28日放映「さかのぼり日本史 平安時代 藤原氏はなぜ権力を持ち続けることができたのか
④ 応天門の変 藤原良房摂政となる」を見ました。
応天門の変はちょっと気になっていた事件。
この事件があって、藤原氏のライバルがいなくなり、
藤原良房が皇族以外で初めて摂政になったことを知りました。
現在の応天門。
http://www.geocities.jp/kyobura5/07heian/heianjingu.html
応天門の変とは・・・・
次のサイトが詳しく、面白いので紹介し、そこから引用します。
※「伴大納言絵巻 応天門の変 2008.1.1NHK BS特集」html
応天門の変(おうてんもんのへん)は、平安時代前期の貞観8年(866)に起こった政治事件である。
応天門が放火され、大納言伴善男(ばんのよしお/とものよしお)は
左大臣源信(みなもとのまこと)の犯行であると告発したが、
太政大臣藤原良房(ふじわらのよしふさ)の進言で無罪となった。
その後、密告があり伴善男父子に嫌疑がかけられ、有罪となり流刑に処された。
これにより、古代からの名族「伴」氏(大伴氏)は没落した。
藤原氏による他氏排斥事件のひとつとされている。
ここでさらに興味が向いたのが、この事件のことを描いた「伴大納言絵巻」
平安時代末期の絵巻物。
応天門の変の約300年後、後白河法皇が「年中行事絵巻」とともに常磐光長に描かせた、と言われているそうです。
ここにも絵を転載してみます。
これはまだ一部。
事件に関する出来事がいくつも描かれています。
この絵についてもじっくり調べてみたい。またいずれ。
上記のサイトはお薦めです。
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