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2012年1月7日

2012年1月 7日 (土)

知多半島へ・・・兄弟と思われる軍人像

  

今日は1月7日。

前投稿のつづき。

   

こんな像もありました。

RIMG0547

一つの台座に、2人の軍人像。

姿、形がよく似た2人です。

兄弟なのかな?それも双子?

   

台座に彫られた字を見ましたが、判読が難しい。

RIMG0549
   

名前と思われるところの溝に指先を入れて、なぞって確かめました。

向って右側。「鈴木好彦之像

向って左側。「鈴木辰夫之像

おそらく兄弟でしょう。

2人を一度に失った親の気持ちを思うと・・・・

こんなために育ててきたわけではない、

自分たちは生き残ったのに、子どもがいない。

子どもと過ごした日々を思い出し・・・・・

断腸の思いというのでしょう。

   

   

30分余り、軍人像の傍らで過ごして、帰路につきました。

冬休みだからできることをやりました。

知多半島へ・・・文字が判読できた軍人像


今日は1月7日。

前投稿のつづき。

  

若くして死んだ兵士たち。

さぞ無念だったでしょう。

遺族は、若くして死んだ息子(夫)の無念さを思い、

現世に息子(夫)の存在の証を残したいと考えたのでしょう。

セメントの軍人像には、制作にかかわった遺族の思いもこもっているように感じました。

でもその人たちも、今はこの世にはほとんどいないことでしょう。

   

遺族が残した文字が、軍人像の台座にあります。

しかしもうだいぶ風化して判読が難しいです。

ひとつ顕著に残っているのがありました。

   

RIMG0542

中央の像です。

    

正面

故陸軍歩兵伍長 勲七等 功七級 梶田勇之像

向って右側面には経歴。

左側面。

RIMG0541

昭和十二年九月七日 上海呉淞鉄道倉庫付近 小吉浦ニ於テ戦死ス 

享年二十五才」(後略)

   

前々投稿に載せた説明板によると、上陸したのは8月23日。

梶田勇伍長は、2週間生き延びたのに、戦死してしまったのです。

半月でほぼ全滅してしまったと言われる名古屋第三師団歩兵第六連隊。

その一人だったのです。

仲間がたくさん死んで、いつ自分の番になるかと恐怖だったろうなあ。

RIMG0536
梶田勇伍長

  

(つづく)

知多半島へ・・・軍人像の顔のアップ

   

今日は1月7日。

前投稿のつづき。

   

軍人像は、写真を見て浅野祥雲氏が制作したを書きました。

私が今回やってみたかったことが、その軍人像の顔写真をたくさん撮ることです。

この人たちが、昭和12年に上海上陸作戦に加わり、

中国人の攻撃で命を落とした人たちだと、

このブログで紹介したいと思っていました。

載せます。

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本人は、こんな姿で後世に残りたくないと思っているだろうなあ。

何より、生きて日本に戻りたかったことでしょう。

12月に読んだ「上海敵前上陸」でえがかれた兵隊の気持ちが浮かびます。(つづく)

知多半島へ・・・軍人像と対面

   

今日は1月7日。

前投稿のつづき。

   

中之院に足を踏み入れました。

人は誰もいませんでした。

そして軍人像を生で見ました。

   

RIMG0521軍人像全体

RIMG0565

RIMG0510右半分

RIMG0511左半分
   

   

この軍人像については、以前の投稿でも説明しました。

しかしその場に設置されてる説明板の内容が詳しくてよかったです。

RIMG0522説明板
    

本当はこの文章をここにうちたいのですが、少々時間がありません。

また後日。

このセメント像の作者は、浅野祥雲(あさのしょううん)氏。

1891年生まれ~1971年没。

1937年(昭和12年)の上海上陸作戦でのおびただしい戦死者。

その遺族に依頼されて、写真を見て制作した軍人像。

制作期間は1937年~1943年だそうです。

したがって最も新しい像でも、制作してから70年近くの月日が流れているわけです。

制作にかかわった人たちもほとんど今はこの世にはいないことでしょう。

でも像は残っています。数が多い!そして顔がリアル。

全員が私を見ているようです。魂が入っているようです。

年月が経てば、さらに存在感を増しそうです。(つづく)

知多半島へ・・・中之院を見つけた

  

今日は1月7日。

今朝は息子を、野球チームの練習グランドに送り、

テントをたてたりする準備を手伝いました。

その足で、知多半島の先っぽまで行ってきました。

目的は、南知多町の中之院(なかのいん)にある軍人像を見るためです。

※参考:12月17日の投稿「知多半島中之院の軍人像/上海上陸作戦」html

    

思ったより順調に自動車は進み、2時間余りで中之院に着きました。

中之院はすぐにわかりませんでした。地図になかったからです。

現地でスマートフォンで調べて、岩屋寺の近くだと判明。

岩屋寺は地図にありました。行ってみたら立派なお寺でした。

中之院はそこから歩いて数分の場所でした。

(下に地図を示します。地図中の岩窟寺とあるのが中之院です)

   

「たぬき寺」と言われるだけあって、あちこちにたぬきの置物がありました。

門も、なんか古くて、人間ではなくてたぬきが管理している雰囲気でした。

夜はちょっと薄気味悪そう。

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でも門の向こうには、さっそく目的の軍人像が見えました。

いよいよ本物との対面です。(つづく)

 

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