上海上陸作戦その1・・・きっかけ
今日は1月3日。
ちょっと面白い勉強が始まっています。
12月に、文房具を買いに本屋へ。
目的のものを買って、お店を出ようとした時に、
出口付近にあった本に目がとまりました。
「愛知県謎解き散歩」(白井伸昂編著/新人物往来社)
気になったので、しばらく立ち読み。
内容も良さそうなので、再びレジの戻って買いました。
さっそく読んでみて、特に印象に残ったのが、
知多半島の先にあるセメントの軍人像。
そして日中戦争時の上海上陸作戦。
そのことをさっそく書いて投稿しました。
関連本があることがわかり、本を入手。
「上海敵前上陸」(三好捷三著 図書文化社)
この本を、年末に高崎に行った往復の電車内でほとんど読みました。
古本で手に入れましたが、2段組みの細かい字の本でした。
最近の単行本は、もっと大きな活字で、2段組みなんか滅多にありません。
最初は抵抗がありましたが、中身の良さにぐいぐい引き込まれました。
1937年(昭和12年)8月に、日本軍は中国の上海に上陸作戦を実行しました。
セメント軍人像になった名古屋第三師団歩兵第6連隊が
まず上海のウースン(呉淞)に上陸しようとして、多大な犠牲を払いました。
10日後に丸亀第十二連隊が同じくウースン(呉淞)に上陸。
これまたおびただしい犠牲者を出します。
作者の三好さんは、丸亀第十二連隊に所属し、12月まで転戦して、
生き延びた人です。
本の帯にこう書いてありました。
昭和12年7月7日、華北の盧溝橋でおこった日中両軍の衝突は、
またたくまに上海に飛び火し、翌八月には大編成の陸軍部隊が
上海の戦場に投入されることになった。
しかし兵隊たちは予想外に頑強な中国軍の反撃にあい、
狂乱の戦場のなかで毫末も個人の意志は許されることもなく、
満足な武器もあたえられないまま、
彼らの多くは自分の運命をのろいながら戦死していった。
この戦死した人々のことを考えるにつけて、
私は私なりにこの戦争の実態を記録しておき、
私たち兵隊がどのように戦って、死んでいったのかということを、
いつの日か世の人々に伝えていかなければならないと思うようになった。
この著者の思いがしっかりこもった本でした。
次の投稿からも、この本について書いていきたいです。
本屋の出入り口で見かけた本から始まった勉強。
もし、その本を見かけてなかったら、何も始まらなかった勉強。
こういった縁を感じる勉強は楽しい。
まだまだ広がりそうな勉強です。(つづく)
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