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2011年10月18日 (火)

なぜ「大坂」が「大阪」になったか?

    

今日は10月18日。

今晩放映の「教科書にのせたい」は、愛知県のことが扱われます。

半田市の新美南吉記念館近くの矢勝川。

秋になるとヒガンバナがたくさん咲く場所です。

昨年は見に行ってきました。

「ヒガンバナを見てきました/矢勝川のヒガンバナ」(2010年10月3日)html

  

そのヒガンバナを植え始めた人の話が放映されるそうです。

上記の投稿で紹介した「中日新聞お出かけニュース」によると、

幼少時に南吉と遊んだこともあるという小栗大造さんが

「童話の舞台の堤をキャンバスに、ヒガンバナで真っ赤な風景を描く」という思いで

平成2年から球根を植え始めたとのこと。

この小栗さんが紹介されるのでしょう。

    

明日の晩は、「ザ・今夜はヒストリー」がいい。

次回の大河ドラマ「江~姫たちの戦国」が、大坂冬の陣をやるにあたって、

偶然にも「ザ・今夜はヒストリー」も内容が大坂冬の陣です。

Main_29大坂城

http://www.doco-ico.net/staff/osaka/vol_29.html  

     

大坂冬の陣にゆかりのある京都の「方広寺」に行ってきたので、

そのことを書こうと思いましたが、

その前に、「大坂」「大阪」について。

なぜ「大坂」が「大阪」になったか、このブログにも書いておこうと思います。

   

「大坂」の「坂」は、「土に返る」ということで縁起が悪いということで、

「阪」い変わったと覚えています。

他にも説がありました。

次のところから引用します。

「Yahoo知恵袋/大坂→大阪」85

   

漢字の表記は当初「大坂」が一般的であったが、

大坂の「坂」の字を分解すると「土に返る」と読めてしまい

縁起が悪いということから、江戸時代ころから「大阪」とも書くようになり、

明治時代には逆に大阪の字が定着する。

一説に「坂」から「阪」への変更は、

明治新政府が「坂」が「士が反する」、

すなわち武士が叛くと読めることから「坂」の字を嫌ったとも、

単に、役人の書き間違えの言い訳から定着したともいう。

     

「士が反する」説は面白い。

とにかく、大阪冬の陣の頃は、「大坂」です。

次の投稿で「方広寺」のことを書きます。

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