知多半島に行く4/織田信孝辞世の句
今日は8月4日。
前投稿のつづき。
源義朝のお墓の傍らにある織田信孝のお墓です。
織田信長の三男。
明智光秀との山崎の戦いでは総大将。
しかし秀吉との戦いに敗れ、捕えられ、
何と義朝の墓のある大御堂寺に送られます。
信孝はそこで自害。
信孝が残したと言われる辞世の句。
「昔より 主を討つ身の 野間なれば 報いを待てや 羽柴筑前」
意訳※http://www5f.biglobe.ne.jp/~syake-assi/newpage264.html
「この内海(うつみ=地名/「討つ身」とかけている)の野間の地は、
平治の昔、主人源義朝が家来の長田忠致の卑劣な裏切り行為によって殺された場所だが、
長田忠致が結局非業の最期を遂げたように
お前にも必ず天罰が下り『主人殺し』の報いを受ける日がくるだろう。
古来よりそうして主君を討った逆臣は永くは続かん。
報いを待つが良い、羽柴筑前よ。」
源義朝の最期を勉強した後だけに、この辞世の句がよくわかります。
Wikipediaによると、「たしなみある武将の信孝が、
このような稚拙で露骨な辞世の句を残したとは考えにくく、
この辞世の句が信孝の残したものかどうかは疑問である。」とありました。
真相はいかに。
織田信孝が自害した場所が、大御堂寺であったことが、
このような句が生まれた背景だと思いました。
「知多半島に行く」シリーズは、次は武豊火力発電所のことを書きます。
(次の投稿につづく)
コメント