知多半島に行く3/源義朝のお墓
今日は8月4日。
前投稿のつづき。
源頼朝によって建てられた大御堂寺(野間大坊)に行く。
目的は義朝のお墓。
こう書いてあります。
源義朝公御廟由来
源氏の総帥左馬頭源義朝公は、
京都六波羅合戦に平家に敗れ
東国へ向われる途中此の地の
東方野間田上の御湯殿で家臣
長田忠致(ただむね)のために、
入浴中謀殺なされしその時、
我に木太刀の一本なりともあればと
悲痛な一言を残されて最期を
遂げられましたので、
その慰霊のために木太刀を献ずる
ならわしが出来て山の様に
積まれています。
木太刀ご奉献の方はすべての
願いが叶うといわれています。
お墓前の建物は無人。500円で木太刀が売られていました。
赤錆びた年季の入った入れ物に500円玉を投入。
木太刀には、家内安全と、
娘が頑張っている勉強、息子が頑張っている野球がうまくいくようにと書きました。
願いを叶えてよ、義朝さん。
そしていよいよお墓。
もちろん、私の書いた木太刀も置いてきました。
木太刀が山積みになった、不思議なお墓です。
源義朝が愛知県とつながりがったというのがうれしくて、
夏休みであることをいいことに、
年休をとって行ってきました。
やっぱり実際に行くのはいい。
可能なところは出向きたい。
義朝のお墓の横には、織田信孝のお墓もありました。(そのことは次の投稿)
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