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2011年7月27日 (水)

その時歴史が動いた 古事記

   

今日は7月27日。

2008年4月23日放映の

「その時歴史が動いた 古事記誕生 日本最古の史書の謎」

を見ました。

   

書きうつされた最も古い古事記は、名古屋市博物館にあると聞いてびっくり。

RIMG0003 

そのことで調べていったら、また面白いことにぶつかりました。

このサイトに書かれていたことです。一部引用します。

「つきみそう 最古の古事記」2

  

博物館に収蔵される前は、岐阜の大須(羽島市)にありました。

木曽川に近い岐阜の大須は水害が多く、

名古屋市に移転。その場所を大須と名づけました。

名古屋の大須の方が有名になり、

大須が元岐阜にあったことは忘れられてしまいました。

    

そんなことがあったのですね。

名古屋の大須に移されたのは、徳川家康の命令だったそうです。

   

   

天孫降臨」という四字熟語の意味もわかりました。

天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫ニニギノミコトが、

高天原(たかあまはら)から地上に降りて治めにきたということ。

この出来事が「天孫降臨」でした。

その時に、道案内をした地上の神が「猿田彦」。

「猿田彦」も聞いたことがある名前でしたが、どんな人(神)かわかりました。

    

天武天皇元明天皇の命で作られた古事記。

稗田阿礼(ひえだあれい)と太安萬侶(おおのやすまろ)の2人が

直接作成にかかわりました。

なぜ天武天皇は「古事記」をつくろうとしたか。

天武天皇はこう言っています。

RIMG0004 
これまでの歴史書の偽りを削り、真実を選び、

それを後世に伝えようと思う。

     

歴史書が作られる時は、

リーダーを軸とした民族意識を高めるためである場合が多いとのこと。

古事記も、神の子孫である天皇が日本を治める正統性を裏付ける歴史書となっています。

明治時代になって、一般の人たちも古事記を読むようになりました。

天皇中心に国をまとめようとした明治政府にとっては、

古事記は都合がよかったのでしょう。

   

    

番組を見て、古事記について知識整理ができました。

 

 

 

    

     


    

 

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