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2011年5月3日

2011年5月 3日 (火)

ドラマ「鈴木先生」第2話を見た

 

今日は5月3日。

昨晩はドラマ「鈴木先生」を見ました。

20110420_1427941

第2話でした。

第1話は少し番組タイトルに興味を持ったけど、見ませんでした。

でも第2話は、この番組紹介記事を読んで、俄然見る気になって実行しました。

EPSON001鈴木先生 ※5月2日朝日新聞朝刊

「鈴木先生の武器は過剰に悩むことだ」

「ささいな問題でも、徹底的に考える鈴木先生の姿は一見滑稽だが、

問題が多様化する今の学校には、

鈴木先生のような繊細さと論理性が必要なのかもしれない。」

   

子どもって意外に?いろいろ考えて行動している、

行動にはわけがあります。

その「わけ」がわかると、子どもの行動が見えてきて、へんな対応をしなくてすみます。

でも「わけ」は、すぐに気がつきません。

何でだろうと思い続け、観察していると見えてきます。

そんな体験をちょくちょくします。

鈴木先生の手法に共感するものを感じ、見てみました。

期待通りのドラマでした。

番組紹介記事のおかげです。

     

実は、ドラマ「JIN~仁~」の番組紹介記事もなかなか良かったです。

EPSON002JIN ※4月17日朝日新聞朝刊

「江戸の世界に引き込まれ、直球のせりふに落涙。

圧倒的な熱量に毎週の放送を待ち焦がれることになりそうだ。」

   

そうか、このドラマのいいところは、「圧倒的な熱量」なんだと納得してしまいました。

    

   

2つの記事の筆者は、ともに久保智祥という方でした。

ちょっと気になりだした記者です。


   

 

 

 

 

 

東日本大震災新聞スクラップ24/5月1日   遠藤未希さん発見

   

今日は5月3日。

今朝のニュース番組で、

宮城県南三陸町の遠藤未希さんの遺体が発見されたことが報じられました。

このブログでも今まで4回、遠藤さんについて書きました。

※前回は4月12日でした。「大震災新聞スクラップ4月11日」.html

遠藤さんの死が決定的になりました。波にのまれさぞ苦しかったでしょう、痛かったでしょう。

その時の恐怖は想像できないものでしょう。

そうやって思いやることしかできず。

    

5月1日のサンデー・フロントラインという報道番組に、

元TBSキャスター下村健一さんが出演。

001 
※「テレビにだまされないぞぉ」http://dametv.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-1025.html

   

現在、内閣審議官広報担当という役職にいて、

菅総理大臣を助けて一生懸命復興のために尽くされていることがわかりました。

やつれている姿を見て、司会の小宮悦子さんが、

「少し体を休めてください」を声をかけました。

その時下村さんは、遠藤未希さんのことを言いました。

最後まで避難を呼び掛けて津波にのまれた遠藤さんのことを考えると休めないと。

   

ふたたびこの言葉を思い出します。

    

「人生意気に感ず」

意味は「人は、相手の心意気を感じて仕事をするものであり、

金銭や名誉のためにするのではない」ということ。

    

大震災の犠牲者・被災者の頑張りを知るたびに、

俺だって頑張ろうと思わせられます。下村さんもそんな気持ちなのでしょう。

この日の下村さんについては、次のブログに詳しいです。

内容に賛成です。

※「元TBSキャスター下村健一現内閣審議官広報担当の姿に感動した」

http://johokan.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-871e.html

   

     

5月1日にインターネットで見たニュースをスクラップします。

その日に記録しなかったら、

もう他のたくさんのニュースの中に埋もれていました。

見つけ出しました。

【5月1日 産経新聞】http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110501-00000079-san-soci

警察の使命感 学校生時に知った仕事の重さ

警察官の卵として初めての仕事は、収容された遺体をきれいに拭くことだった。

東日本大震災で甚大な被害が出た宮城県。

人手が足りない県警は警察学校生を現場に駆り出した。

髪の泥を拭った女の子の遺体、母親から差し出された小さな男の子…。

「警察官の仕事の重さを知った」。

厳しい現場を経た“卵”は今、使命感を胸に、

警察官として現場で不明者の捜索やパトロールを続けている。(楠秀司、中村昌史)

震災から3日後の3月14日夕方、

竹谷信宏さん(25)=現巡査=を含む41人の宮城県警察学校生に教官から思いもよらぬ命令が下された。

「明日から検視の仕事を手伝ってもらう」。

学校生たちはそれまで、宮城県名取市の高台にある警察学校に避難してきた人の世話などに当たっていた。

竹谷さんは「警察官になった以上、遺体と接することは覚悟していたが、まさかこんなに早くとは…。

『遺体はどんな状態なんだろうか』『苦しそうな表情をしているのだろうか』。

前日の夜は恐怖心で眠れなかった」と話す。

翌日、収容所でいきなり言葉を失った。

最初に対峙(たいじ)した遺体はまだ5~6歳の女の子。

悲しみを通り越してしまうほどの衝撃を受けた。

厳しい寒さの中、黙々と水でぬらしたタオルで体と髪に付いた泥を拭った。

竹谷さんとペアを組んだ警察学校生の女性は涙をこぼしていた。

検視の手伝いは約半月続き、70~80人の遺体をきれいにした。

中でも竹谷さんのまぶたに焼き付いている光景がある。

仕事中に声をかけられ振り向くと、放心状態の女性がたたずんでいた。

両腕に3~4歳くらいの男の子の遺体を抱えていた。

「息子なんです。きれいにしていただけませんか」

やり場のない悔しさを感じながら、

少しでもきれいにしてあげようと丁寧に体を拭き、納棺師に引き渡した。

このとき、警察官の仕事の重さと奥深さを感じたという。

子供のころに警察車両の展示会で「かっこいい」と思って以来、

ずっと警察官に憧れ続けた竹谷さん。

地元の大学を出て、一度は神奈川県警の試験に合格したものの、

「どうしても地元の治安を守りたい」と宮城県警の試験を受け続けたという。

3月末、警察学校を卒業。岩沼署地域課増田交番に配属された。

岩沼署は今回の震災で計6人が殉職するほど被害が大きい地域だ。

朝7時に出勤し、明るいうちは不明者の捜索、夜はパトロール、

翌日昼過ぎに寮に帰って寝て、また翌朝7時に出勤という過酷な毎日が続く。

休日はこれまで1日もなく、体力は限界を超えている。

それでも、「住民の方から『ごくろうさま』『ありがとう』といわれると力がわいてくる」。

いつ街が元の姿に戻るのか、想像もつかないが、

「とにかくやるしかない。一人でも多くの不明者を見つけたい」とがれきに立ち向かっている。

       

    

遺体の姿はニュース画面でも新聞写真でも出てきません。

でも遺体は必ずあるわけで、

そのことを少しでも知らないと真実を知ったことにはならないと思います。

間接的ですが、このようなニュースを読み、

災害地であったことを知りたいと思います。

 

 

     

     

     

 

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