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2010年11月21日

2010年11月21日 (日)

今度の授業で使うドラマ「広島 昭和20年8月6日」

   

今日は11月21日。

もうじき社会科の授業で広島の原爆を扱う。

「一瞬」にして、人間の夢なんか吹き飛ばし、

命を奪ってしまう原爆の恐ろしさを伝えるために、

次のドラマのラスト12分間を見せたい。

    

ドラマ「広島 昭和20年8月6日」(TBS 2005年8月29日放映)

3cda4e2e49df9456a187e023527e8bb2広島 
     

昭和20年7月16日~8月6日までの20日間を描いたドラマ。

後に原爆ドームと言われる産業奨励館のすぐ近くで旅館を営む矢島家。

両親を早く失った長女志のぶ(松たか子)が切り盛りしていました。

次女信子(加藤あい)は小学校の代用教員。

三女真希(長澤まさみ)は女学生。

末っ子の長男年明(冨浦智嗣)は少年飛行兵に志願して出征。

家族から愛されていた犬が、五番目の兄弟姉妹で「ゴロー」。

    

2時間30分のドラマ(CMも含めて)のうち、

ほとんどが3姉妹を主人公にしたホームドラマ。

いろいろあって、3姉妹とも幸せをつかもうとします。

8月6日朝。志のぶは、3年ぶりに大好きな人と会う約束をしていました。

結婚した信子は、妊娠したことを旦那さんに伝えようとします。

真希は姉が作ってくれたバレエシューズをもって友だちのもとへ。

2人はバレリーナを目指して練習を始めました。

みんな未来を信じて。

2時間以上かけて積み上げてきたドラマが、一発の原爆で「一瞬」で壊されます。

それがラスト12分間です。

原爆の恐ろしさを伝えるいい映像資料と思います。

原爆の爆風の凄さを伝える場面もあります。

郊外を走る列車の窓ガラスを木っ端微塵(こっぱみじん)にする爆風。

そして黒い雨。熱線で体は消滅してしまったが、傍らの石に影の残した場面。

一人残された弟が、原爆の語り部になって、

2度とこんな悲劇を繰り返してはならないと高校生の前で話します。    

ラスト12分間に凝縮されています。   

   

   

5年前に録画した番組を初めて授業で使います。

購入もできるようです。よかったら。 

     

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遊川和彦

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今晩の「龍馬伝」は大政奉還

  

今日は11月21日。

最近、飲み仲間で、ブログを始めた人がいます。

のぞきにいったら、京都の紅葉の写真が掲載されていました。

※ブログ「So What」http://cheeky.asablo.jp/blog/2010/11/19/5521202

いいなあ~。

今年の秋は山にも行かず、当然山の紅葉も見ていません。

最近の自分の行動範囲は狭いと自覚しています。

そうなるとブログの内容も、読み返してみてちょっとさみしいと思う。

金曜日に久々に自転車通勤ができたことがいいきっかけになって、

もっと毎日を楽しもうと思う。もっともっと。

     

   

ふだん「龍馬伝」を見ることを薦め、坂本龍馬の話をよくする自分に、

子どもたちは龍馬情報を届けてくれます。

そんな情報の一つ。豊橋市に「らーめん龍馬」ができたそうです。

調べてみたら、オープンは10月16日。まだ1か月。

メインメニューの「龍馬ラーメン」が300円という安さ。

味はどうなんだろう?インターネットで様々な評判を読みますが、まずは実体験を。

5540089 ※「食べログ愛知」の写真
http://r.tabelog.com/aichi/A2306/A230601/23038272/dtlrvwlst/2142735/5540089/

     

   

今晩と来週の2回で終わってしまう大河ドラマ「龍馬伝」

今日は大政奉還。

慶応3年10月3日。土佐藩が大政奉還の建白書を将軍徳川慶喜に提出。

10月13日。慶喜は京都・二条城で大政奉還について藩主たちと相談。

あの有名な「大政奉還図」はこの時の絵。

Img3e73a2b0zik7zj 

修学旅行で二条城に行った人は、注目の場面です。

10月14日。慶喜が明治天皇に「大政奉還上表」を提出。

※「上表(じょうひょう)」= 意見を書いた文書を、天皇に奉ること。また、その文書。

10月15日。天皇が慶喜に大政奉還勅許(ちょっきょ)の沙汰書を授ける。大政奉還成立

   

戦わずして幕府を倒す龍馬の考えはうまくいったかに見えましたが、

そうはうまくいきませんでした。

それは後の歴史を見ての通り。

龍馬暗殺は慶応3年11月15日

大政奉還成立の1ヶ月後。

今日もドラマを楽しみつつ、歴史の勉強をします。

 

尊徳の教え「奪うに益なく、譲るに益あり 」

   

今日は11月21日。

同僚の先生から本を借りて読書。

「二宮尊徳に学ぶ経営の知恵」(産業能率大学出版部刊)

二宮尊徳に学ぶ経営の知恵―600の村を救済した“報徳仕法”とは 二宮尊徳に学ぶ経営の知恵―600の村を救済した“報徳仕法”とは
大貫 章

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二宮金次郎像調べを始めていますが、

そもそも二宮金次郎がどんなことをした人なのか知りたくて読むことにしました。

    

天明7年7月23日(1787年9月4日)に、

現在の神奈川県小田原市に生まれました。

安政3年10月20日(1856年11月17日)没。

天保の大飢饉を乗り切り、天保の改革の水野忠邦にも登用されています。

    

この本には、二宮尊徳の教えがいくつか書いてあります。

その一つ。

奪うに益なく、譲るに益あり -自助と互助の協働社会づくりー」136p)に注目。

そこには理想とも思える社会が書かれていますが、

二宮尊徳は実際に行っているわけで、したがって注目しました。

   

勤労によって得た自己の収入の中から、

分度を立てて余財を産み出し、

その余財の一部を社会・公共のために提供することを、

報徳の用語で「譲(または推譲)」という。

尊徳の村おこしの仕法の事業は、ほとんどの場合、

何人かの人の推譲るによって始められ、

やがて多くの人たちの勤労と推譲に支えられて達成されていった。(136p)

   

自己財産を増やすことだけにとらわれず、

この辺りが適当と思われる生活ができるなら、

余財を提供して基金にして、村の経営に生かそうという考え方。

二宮尊徳が、600の村を救済した基本的な考え方の一つです。

奪うに益なく、譲るに益あり」・・・あらためていい言葉だなあと思います。

   

最後に、二宮尊徳はとても大きな人だったことを。

身長は約六尺(182㎝)、体重は二十五貫(94㎏)だったそうです。

よく育ちました。

 

 

 

 

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