「担々」「坦々」調査/「担々」に2票
「担々」「坦々」調査のつづき。
※前回http://mitikusa.typepad.jp/blog/2010/04/post-646a.html
豊川市内のお店で2軒の情報が手に入りました。
一つは同僚の先生からの情報。
写真はこれ。
見にくいと思いますが、手へんの「担々麺」です。
さらに、私自身が行った店での写真。
これまた手へんの「担々麺」でした。
今のところ5軒の情報が入って、
「坦々」に2票、「担々」に3票となりました。
「担々」が逆転しました。
« 2010年5月1日 | メイン | 2010年5月3日 »
「担々」「坦々」調査のつづき。
※前回http://mitikusa.typepad.jp/blog/2010/04/post-646a.html
豊川市内のお店で2軒の情報が手に入りました。
一つは同僚の先生からの情報。
写真はこれ。
見にくいと思いますが、手へんの「担々麺」です。
さらに、私自身が行った店での写真。
これまた手へんの「担々麺」でした。
今のところ5軒の情報が入って、
「坦々」に2票、「担々」に3票となりました。
「担々」が逆転しました。
音楽のことをもう一つ。
連休の始めで時間があることをいいことに、
以前から書きたいと思っていたことを書きます。
リヒャルト・ワーグナー(1813~1883年)という作曲家・指揮者がドイツにいました。
ヒトラーがワーグナーに心酔し、
音楽も考え方も愛したようです。
ワーグナーの反ユダヤ主義の考え方を具現しようとしたのがヒトラーだったという説もあるようです。
ヒトラーへの影響力大だった人です。
ワーグナーの作品を年に1回、大々的に演奏される場所があります。
バイロイト市です。
1876年にバイロイト祝祭劇場が完成。
それ以後、ワーグナーの曲が上演されてきました。
バイロイト音楽祭と呼ばれました。
ヒトラーは国を挙げて、このバイロイト音楽祭を庇護しました。
ヒトラーが自殺して、ナチ政権が崩壊した戦後のドイツでは、
ヒトラーとの結びつきが強かったバイロイト音楽祭は中断されていました。
バイロイト祝祭劇場の関係者が、ナチ政権に協力したと見られていたからです。
バイロイト祝祭劇場はワーグナー家の人たちが経営してきました。
戦時中に経営していた人たちが交代することで、
1951年からバイロイト音楽祭が復活しました。
しかし、ドイツの首相が、この音楽祭に出席することは長くありませんでした。
なぜか?
その理由と、首相が戦後初めて出席したいきさつを、
「カラヤンとフルトヴェングラー」(幻冬舎新書)より引用します。
日本がかかわっていてビックリしました。
ドイツでは、首相としてバイロイトに行けば、
必ず「ヒトラー以来初めて」と報道される。
歴代のドイツ首相は、そうなることを避けてきた。
戦後のドイツ首相がこの音楽祭に初めて出席するのは、
再開から半世紀以上過ぎた2003年のことだった。
日本の小泉首相が本場でオペラを見たいという理由で
政府専用機を飛ばしてヨーロッパを歴訪した際の、
あのバイロイト訪問時である。
日本の首相を出迎える以上、
ドイツもシュレイダー首相が行かなくてはならないという大義名分が立った。
こうしてバイロイトの戦後は、21世紀になってようやく終わったのである。
(229-230p)
小泉首相の行動は、ドイツの歴史に大きくかかわっていたのです。
知らなかった!
小泉首相が音楽の本を出していました。
![]() |
音楽遍歴 (日経プレミアシリーズ 1) 日本経済新聞出版社 2008-05-09 売り上げランキング : 249317 おすすめ平均 ![]() Amazonで詳しく見る by G-Tools |
その本の書評に、上記の出来事の裏話が書いてありました。
※参考http://homepage3.nifty.com/giacomo/20090405h.htm
カナダでのサミットの帰路、
ドイツが勝ち残ったワールドカップ決勝に間にあうよう
首相特別機にドイツのシュレーダー首相を同乗させたのが縁で、
返礼にバイロイト音楽祭に御招待を受ける。
イメージとしては、小泉首相が見たいと思って出かけたと思っていました。
招待を受けて行くことになったのかな?真相は?
こういう話が楽しい。
映画「のだめカンタービレ最終楽章 後編」が公開中。
ちょっと映画には行けそうもありません。
いずれレンタルDVDで見ようと思います。
マンガ本は23巻まで読んで、全巻読破。番外編の24巻は後日。
映画のサントラを昨日借りてきたので、生活のBGMにしたいです。
![]() |
のだめカンタービレ 最終楽章 前編&後編 のだめオーケストラ のだめカンタービレ ERJ 2009-12-09 売り上げランキング : 39 おすすめ平均 ![]() Amazonで詳しく見る by G-Tools |
その中にマーラーの交響曲5番もあります。
グスタフ・マーラー(1860~1911年)の生誕150年の今年、
NHK放映の「N響アワー」では、1年間マーラーの特集をするそうです。
今晩9時からの放映では、交響曲9番が放映されます。
「N響アワー」のHPに次のように書いてありました
http://www.nhk.or.jp/nkyouhour/prg/2010-05-02.html
「死に絶えるように…」。
体調を崩し、身近に死の影を感じていたマーラーは
交響曲第9番の最後にこう書き加えました。
「第9交響曲を作曲すると死ぬ」というジンクスを恐れたマーラー。
彼が完成させた最後の交響曲はやはり第9番で、
そのテーマには「死」が密接に結びついています。
番組では、最後の交響曲「第9番」にマーラーが込めたラスト・メッセージを
エピソードやブロムシュテットさん(指揮者)へのインタビューを通じて読み解きます。
※マーラー
「第9交響曲を作曲すると死ぬ」というジンクスに興味を持ちました。
Wikipediaの「第九の呪い」には次のように書いてありました。
ヴェートーベンが交響曲第9番を完成させた後、
交響曲第10番を完成することなく死亡したことに端を発する。
実際、ベートーヴェン以降の意味の「交響曲」を作曲するのには長い時間と体力・精神力を要し、
さらに作曲家が実際に創作を行える時間を考慮すると、
9曲程度が限界であるという説もある。
グスタフ・マーラーーが「第九の呪い」を恐れて、
交響曲第8番の完成後次に取り掛かった交響曲を交響曲として認めず「大地の歌」と名づけ、
それでも死ななかったので安心して「交響曲第9番」を作曲した後で
死んでしまったという逸話は有名である。
こんな逸話を知ると、今晩の「N響アワー」は見逃せなくなります。
滅多に見ない番組ですが、今晩は特別。
※ヘルベルト・ブロムシュテット
蛇足?:指揮者ブロムシュテットさんは、
3月27日のブログに載せた映像の笑顔が忘れられません。
今晩もあの笑顔が見られるかな。
昨日(5月1日)の朝日新聞夕刊の一つの記事に目が留まりました。
戦時中、北海道の猿払村で、
旧日本軍の飛行場建設のために強制労働させられた朝鮮人の遺骨発掘調査の記事です。
この記事は、ずっと過去のことを思い出させてくれました。
教師になる前の時期に、本多勝一著「北海道探検記」を読みました。
![]() |
北海道探検記 (1984年) 朝日新聞社 1984-02 売り上げランキング : 645969 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
非常にインパクトの強い本で、
興味を持ったらどんどんその場所に行き、
人と会って話を聴くことの大事さ、面白さを教えてもらった本だと思います。
この本を読んで、北海道に行きたくなり、
今の時点で、私にとって人生最大の旅行、
冬のオホーツク海沿岸(斜里~宗谷岬)徒歩旅行を実行した動機になった本です。
(1985年2月~3月)
たくさんの場所に行き、話を聴きました。体験もしました。
本多さんが取材した人にも会って話をしました。
社会科教師はこういうことをやらないとなあと、就職前でしたが思いました。
この「北海道探検記」の中に、
飛行場建設をめぐる朝鮮人強制労働のことが書かれていました。
劣悪な環境の中で働かされた人たちの中には、
異国で無念の死を迎えた人たちが多数いました。
飛行場はほとんど使用されず、終戦を迎えました。
最寄りの天北線の駅には「飛行場前」駅という名前がつきました。
確か北海道に行った時には、この駅を訪れたはずですが、
25年以上前のことで、記憶からすっかり消えています。
現在天北線は廃線となり、「飛行場前」駅もだいぶ廃(すた)れているようです。
※2009年撮影
ウィキペディアよりhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Hikoujoumae_Station_2009.JPG
終戦から65年たった今になっても、
100人亡くなったと言われているうちの19体しか遺骨が発掘されていないというのは、
とても残念なことです。
無念だっただろうなと思います。
今回の発掘調査の結果をしっかり見ておこうと思います。
北海道をまた訪れたい。
悔しいのは、「北海道探検記」を読みなおそうと思ったのに、
見つからないことです。どこに行っちゃたんだろう?
あの黒い背表紙に、
白字で「北海道探検記」と書かれた文字は鮮明に覚えているのになあ。