「アラビアのロレンス」を見に行きました3
(前投稿のつづき)
名古屋駅前の映画館ピカデリーに、「アラビアのロレンス」を見に行きました。
これをいい機会に、
インターネットで調べると、いろいろ新しいことを知りました。
※T.E.ロレンス
映画「アラビアのロレンス」について詳しく書かれたサイトを見つけました。
※「GREEN WIND」というサイトの中の「アラビアのロレンス」のところ。
http://web.thn.jp/blueleo/lawrenceofarabia.htm
ここに次のような記述がありました。
「アラビアのロレンス」でのロレンスの旅は、ほとんど画面の左から右に向かって進んでいる。
ロレンスが目的地まで向かう動きを常に同じ向きで観客に見せることにより、
より強い印象を与えることができると監督が考えたからである。
進軍時は左→右へ、逆に退却時はその反対の右→左へ進行するように統一している。(チャプター7の解説より)
なるほど。確かにそうだと思います。
「退却時」がいつだったか、すぐに思い出せませんが、
ラストシーンで砂漠から去っていくロレンスは、
画面の右から左に向かって移動しています。
そうかそこまで配慮された映画なんだ。
ロレンスの著作「知恵の七柱」の書評で、ぐっと勉強になるものもありました。
※「松岡正剛の千夜千冊遊蕩篇」の中の「知恵の七柱」です。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1160.html
たとえば・・・ハイスクール時代から拓本や陶片や、また古地図や遺跡に異様な関心をもった。
つまりは「埋もれた知」に異様な興味を抱いたのだ。
土地からの発掘作業にもつねに積極的だった。
そのため早くからオクスフォードのアシュモリアン博物館に出入りして、
拓本整理や陶片整理に携わっていた。
あとでのべるように、このアシュモリアン博物館との出会いは、
いいかえれば「埋もれた知」に対するあくなき熱情が、
かの「アラビアのロレンス」をつくった。
博物館がロレンスをつくったということは、ぜひとも強調しておかなければならないことだろう。
言ってみれば、ロレンスは「博物館からラクダに乗って出撃した」わけなのである。
※T.E.ロレンス
あの大冒険的な活躍も、根本は知的好奇心が動機だった可能性もあるのだ。
知的好奇心はすごいパワーを生み出す。
知的好奇心万歳!
もう一つ、楽しい発見がありました。
(つづく)
道草さん お久しぶりです。
神戸でお会いできなかったので、残念です。
あなたとわたしは、本当に同世代だなあとまたまた思いました。
アラビアのロレンスです。わたしもあれを見て、感動しました。そのときに、百科事典で「アラビアのロレンス」を調べました。そして、一番に思ったことは、
「俳優のピーター・オトゥールより実在のロレンス中尉(?)の方が、男前やん。」
あの頃の映画は、映画音楽とともに、記憶しています。
投稿: 奈良軍団営業担当 | 2010年3月30日 (火) 18:54
奈良軍団営業担当さん、コメントをありがとうございます。このネタに食いついて(失礼)くれました。同世代ですね。あの映画は影響力大でした。リバイバルがあれば今回のように出かけてしまいます。
夏には神戸に行きたいです。もう講座のある日は予告されていましたか?また教えてください。
投稿: いっぱい道草 | 2010年3月30日 (火) 20:04
夏の神戸の講座は、さいたまとの調整をしないと最終はわかりませんが、学校の終業式が何日かで変わってくると思います。
1学期の終業式が7月23日だとしたら、7月24,25日でしょうか。
6月後半ぐらいから、新教育のてつじん倶楽部のホームページをチェックしてください。白浜の方は、今回2月末ぐらいから毎日チェックされていたそうです。
大きな部屋を使うことも考えてみようかと検討中ですが。
投稿: 奈良軍団営業担当 | 2010年3月30日 (火) 20:32
さっそく教えてくれてありがとうございます。
6月後半からチェックしていこうと思います。
今回はあわただし時で、落ち着いてから申し込もうなどとのんきなことをやっていたのが失敗でした。
今日は奈良軍団営業担当さんとやりとりできてよかったです。おやすみなさい。
投稿: いっぱい道草 | 2010年3月30日 (火) 23:33