ライアン・ホワイト その2
(前投稿のつづき)
「エイズと闘った少年の記録」(ポプラ社)には次のような文章がありました。
テレビのレポーターに聞かれたことがあった。
「きみのいちばんの友だちはだれですか?」
ぼくはほんとうのことを答えるしかなかった。
「だれもいません」ってね。
だからぼくは、友だちがほしかった。でも、ハミルトン・ハイツの人たちは、
「ライアンはエルトン・ジョンの友だちだから、ほかに友だちなんかいらないだろう」
と思うかもしれない。
有名になるっていうのは、ときにはエイズ以上の孤独を意味することもあるんだ。
ぼくが有名だから近づいてくるやつもいるかもしれない。
だけど、だからといって家でテレビの前にすわっているだけじゃあダメだと思うんだ。
自分から動かなければ、何も変わらないよ。
だからぼくは外に出て、みんなに話したいと思った。
みんなエイズというのは汚いものを表す言葉だと思っている。
そうじゃない、ただの病気なのに。
ココモにいたときに、ぼくはわかったんだ。
みんなぼくを嫌っているわけじゃない。
ぼくの病気を嫌っているだけなんだ。
親は自分の子どものことを心配するしね。
ぼくだってはじめはこわかったよ。
はじめて自分がエイズだと知ったときはね。
だから、ぼくはするべきことを考えた。
おとなたちが医学的事実を無視するなら、ぼくは子どもに話をしよう。
おとなたちの頭はこりかたまっているけれど、
子どもは柔軟な頭を持っているんだ。
もしかしたら、家に帰って親の考えを正してくれるかもしれない。(146~147p)
ライアンがやったことは、この考えをベースにしていたんだなと思います。
この本の中に出てくるマイケル・ジャクソンは、
マスコミが言うような奇行を行う人物ではなく、誠実な人物です。
そしてこれが本当のマイケル・ジャクソンなのでしょう。
マイケル・ジャクソンはライアンのことを歌った「Gone Too Soon」(「あまりにも早く去った」の意味)を発表し、
1992年に出版した自著『ダンシング・ザ・ドリーム』(Dancing the Dream)にも
「ライアン・ホワイト」という題の詩を書き残しています。
インターネットはありがたい。
曲も詩も見ることができます。
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