松原用水/関係写真
(つづき)松原用水土地改良区で古い写真を見せてもらいました。
接写させてもらった写真を載せます。
松原用水への水を、豊川(とよがわ)から取水する今の牟呂松原頭首工の工事の写真。
それまでの頭首工が老朽化したため、
少し下流に作られました。
写真右手に写っているのが、老朽化した頭首工。
工事は平成3年~6年に行われました。
次の写真はまだ謎の写真。
松原用水は、その名の通り、かつては旧一宮町(現豊川市)の松原地区の豊川(とよがわ)から取水していました。
その頃の写真はありませんかと尋ねたところ、
この写真を見せてくれました。
昭和42年頃の写真。
松原頭首工の写真らしい。
この写真をどう見たらいいのだろう?
写真を見せてくれた方もよくわかりませんでした。
松原地区に長く住んでいる人にこの写真を見せて解明したい。
※8月30日にこの写真に関する投稿をしました。よかったら見てください。
http://mitikusa.typepad.jp/blog/2009/08/post-d100.html
写真の説明には「松原用水頭首工廃止まで使用していた樋門(ひもん)」とありました。
「松原用水樋門を開閉するハンドル」
このハンドルは、今、松原用水土地改良区の庭に移されていました。
「松原用水元松原事務所」
豊川下流は、洪水のたびに川筋が変わる川でした。
したがって松原用水の取水場所も変わってきました。
松原地区から取水したのは、明治2年~昭和42年でした。
この事務所がどこにあったのか?
やはり地元の年輩者に尋ねてみたい。
事務所の傍らにあった石碑も、土地改良区の庭に移されていました。
碑文は大正7年に刻まれたものでした。
松原用水の歴史が切々と書かれていました。
この夏休み、松原用水のことをだいぶ勉強できました。
※土地改良区でコピーをいただいた「松原用水430年のあゆみ」(平成10年発行)を参考にして、今日の文章を書きました。
初の投稿です。
今でもかかさず拝見しています。
早速本題ですが、昭和42年頃という松原用水の謎の写真の件ですが、
この構図は松原の堤防(恐らく松原頭首工があった位置)より豊川上流を見たものです。
見えている橋は架け替え前の古い江島橋(今はその上流200mぐらいにある)です。つまり左側が国道151、右側が江島、金沢地区となります。
以前、前任校で豊川探索に行かれた時に国道151沿いの竹薮を抜けてから川原まで草むらを抜けて行くのが大変だったとコメントされていましたが、昔は151のすぐ下の付近を流れていました。
そのため、豊川の流れは松原の堤防に常に直撃していましたので松原の堤防、頭首工は被害を頻繁に受けていたと想像されます。
30年以上前、川の流れを変える工事が行われ、今のように両岸のほぼ中央を流れるようになりました。
(恐らく、松原地区の被害対策の為)
151から松原の堤防に曲がったところのすぐ下(今は養鰻場?のあるところ)から例の蜂蜜屋さんの方向に水路が伸びていますが、今までそれが松原用水(もしくは名残)と思っていました。
なにかのヒントになれば幸いです。
投稿: G | 2009年8月30日 (日) 02:31
Gさん、コメントをありがとうございます。今も読んでいてくれてありがとうございます。特に松原用水の投稿を読んでくれる人は少ないと思っていましたが、ちゃんと読んでくれて、さらにコメントまで送ってくれる読者がおられたことが、有り難いです。
豊川の流れを変える工事があったのですね。工事の結果、堤防沿いのあの草むらができたんだ。
松原用水の名残も気になっていました。松原から豊津まであったはずの水路の名残を確認したいです。
古い江島橋は、前任校の教頭先生から写真を見せてもらい、接写しています。近いうちにブログに載せようと思います。
皆さん、お元気ですか?
投稿: いっぱい道草 | 2009年8月30日 (日) 08:05