失恋は「度」で数えるか「回」で数えるか
7月15日の投稿で話題にした”数え方”にこだわる飯田朝子さんのエッセイ本「数え方もひとしお」(小学館)を読みました。
数え方にまつわる話が満載のおもしろい本でした。お勧め。
チョウの数え方は「1頭、2頭」というが、なぜだろうとこだわっています。結論はチョウを「頭」で数えるのは常識になってほしくないというもの。
失恋は「度」で数えるか「回」で数えるかについて書いた章もありました。「度」と「回」は似て非なるものとして紹介しています。引用してみます。「度」を使ったことわざの「三度目の正直」「二度あることは三度ある」「仏の顔も三度」をあげておいて、こんな文章。
「『度』は、その字が表すとおり、物事が度重なっていくという意味です。『度』で数える経験や行為は、再びそれが繰り返されては困ることや、次に起こりうる行為なのかどうかの予想が難しい場合に使います。ですから、ことわざでは、そうたびたび起こっては困ることや、次に起こりうることかどうかの予想が立てられないものに対して『十分に気をつけるように』と注意を促す教訓を含め、「度」で数えているのです。」(122p)
それでは「回」は?
「時間がたてば巡ってくる、次が予測・期待される場合に使います。『回』を使った表現として『第3回大会』『5回目の記念日』『七回忌』などのように言いますが、これらは全て『度』に入れ替えるとおかしな表現になってしまいますね。これは『回』の意味が生きているためなのです。」(123p)
したがって、失恋を繰り返したくないために、「度」で数えることを勧めています。
「当たり前に思えることでもじっと観察すると新しい何かが見えてくる」(50p)
飯田さんの探究心はこの発想でしょう。多くの人がさらりと通ってしまいそうなことにこだわり、理由や法則を見つけていく態度は、見習いたいです。
夏休みにまたいい本に出会えました。
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