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2024年10月31日 (木)

本「ナポレオンと東條英機」② ヨーロッパ史観だから「英雄」となる

   

今日は令和6年10月31日。

  

前記事の続きで、

「ナポレオンと東條英機」(武田邦彦著/ベスト新書)

から引用していきます。

  

  

日本の学校で教える世界の歴史は、ヨーロッパ人が作った歴史です。

これは歴史ばかりではなく、地理や社会、それに科学に至るまで“ヨ

ーロッパ中心”の用語や考え方でできています。

たとえば、日本の学校では地理の時間に「ヨーロッパ大陸」という

言葉を習いますが本著の第1章でも便宜的に使いましたが)、ヨーロ

ッパ地域が「大陸」であるはずはありません。世界地図を見るとす

ぐわかりますが、ヨーロッパはユーラシア大陸の西の端にあり、そ

の地域を地理的に表現するなら「ヨーロッパ半島」です。

でも「半島」を「大陸」と呼びたい気持ちもわからないではありま

せん。人間は常に自分が主人公で、神様は自分だけを重んじてくれ

ると思いたいものです。ヨーロッパ人の「自分中心主義」、それが

ルネッサンスで力をつけた15世紀の終わり頃に爆発し、世に「大航

海時代」と呼ばれる侵略時代を作ったのです。

(68p)

  

確かに、これもずっと違和感を持っていたことです。

「ヨーロッパ大陸」

本当に大陸なのか?

ユーラシア大陸の一部だよなあと。

  

  

もともと、ヨーロッパ人というのは4000年ほど前、カスピ海の北に

住んでいた遊牧民アーリア人が数回にわたって「民族移動」し、東西

に広く進出して形成されています。

最初はセム族という民族が住んでいた今の中東、つまりメソポタミア

地方に移動して、新しい国を作り、その後は戦争に戦争を繰り返すと

いう歴史でした。そのうち、東に行った人たちはインドまで到達し、

インドに土着で住んでいた人たちを追い出してインド西部まで移住し

ました。

一方、西へ移動し始めた人たちは、南はイタリア、北はドイツからス

ウェーデン、そして一部のケルト人と呼ばれる人たちがイギリスに渡

ったのです。

「インド・アーリア語族」とか「アーリア人」と呼ばれるこの人たち

はもともと遊牧的な生活をしていて、決まった土地がなく、原則的に

は「他人の土地を奪って住む」という性質を持っていました。

たとえば、バルカン半島に進出したときには、土着の人をどんどん追

い出し、それまでギリシャ地方に住んでいた人たちはたまらず地中海

に逃げ、それでも追ってくるので、キプロスからシリアまで移動しな

ければなりませんでした。

2015年にアメリカ、イギリス、フランス、ロシアによるシリアの空爆、

そしてその報復としてのパリの銃撃事件がありましたが、シリアの人

にとってみれば、数千年前からそんなことが繰り返されているのです。

つまり、カスピ海の北方に住んでいたアーリア人がギリシャに進出して、

そこに住んでいた人を追い出し、それに押し出されるような形で当時の

地中海にいた「海の民」がシリア地域に上陸して、 セム族と混血にな

ったのです。 それがシリア人です。

だから、今回の米英仏露の空爆はシリア人にとって数千年前の悪夢が

またやってきたという感じです。歴史的な知識がなく、パリの銃撃事

件のニュースを見るとシリアの人のほうが悪いように見えますが、そ

こには数千年の怨みがこもっているのです。

いずれにしても、アーリア人はアジアの日本などの海洋国家の民族と

違い「自分の国」や「自分の土地」はありませんし、「国境」もない

ので、自分たちが必要となったら、ともかく他人の土地を奪い、作物

や女を略奪するというのが「普通のこと」だったのです。

日本人は自分の国、自分の土地で、ほぼ単一民族でしたから、アーリ

ア人の行動はまったく理解できません。 彼らは、まず武力で相手を

たたきつぶすか、あるいは騙して奪い取ります。自分の土地がないの

で、相手を殺したり、土地を奪うのは「普通のこと、神の命令」とい

う感覚でしたから、「平和が尊い」などということは建前ではあって

も、本心ではありませんでした。

もし、平和が尊いということになると、土地もない、国もないのに指

をくわえて隣の国の繁栄を見ていなければならないのです。それは彼

らにとってはかえって理解できないことです。「正義のために剣を取

れ(自分たちの命のために剣を取れ)」というのはアーリア人の思想で

もあり、さらにはアーリア人に侵略された人たちの叫びでもあったの

です。

かくして3回にわたって拡大を続け、ついに19世紀には世界中のほと

んどがアーリア人の支配下に置かれました。

もっとも、今のヨーロッパ人はアーリア人なので、「アーリア人の侵

略」という言葉は使いません。だから日本のようにヨーロッパの歴史

が指導的な役割を果たしている国では、ヨーロッパ人の進出(侵略)は

「大航海」「発見」「文明化」などという名前を使い、アーリア人以

外の国の進出は「侵略」という用語を使います。

(68〜71p)

  

「大航海」「発見」は使われますよね。

これはヨーロッパ視点ですよね。

アーリア人視点とも言えますね。

  

  

アーリア人の侵略性、拡大の指向はその後も続き、マケドニアのアレ

キサンダー大王の東方とエジプト進出や、ローマのシーザーの時代の

世界帝国の建設などがありますが、いずれもその指導者が「極悪人」

と呼ばれずに「英雄」とされているのは、アーリア人歴史書を作った

からです。

自分が困ってもいないのに、少しでも良い生活をしたいと言って、

どんどん他人のところに進出して大量の人を殺害するのは、日本の道

徳観念から見ると英雄どころか、極悪人と言って良いでしょう。でも、

日本はヨーロッパ史観なので、日本の道徳にこれほど反しても「英雄」

として歴史で学びます。

(72p)

  

アレキサンダー大王、シーザー、英雄にしちゃっていますよね。

ヨーロッパ史観に染まっています。

こういうところを、先輩の理科の先生は、言うんだろうな。

社会科教師が読まないといけない本だと。

  

日本の学校で教える歴史で、北アメリカでのインディアンの虐殺、

中央アメリカと南アメリカのアステカ、インカ帝国での虐殺、アメ

リカ合衆国によるアフリカからの黒人奴隷の虐殺、イギリスによる

オーストラリアのアボリジニー(オーストラリア大陸の先住民)など

の虐殺を教えないのは、これもヨーロッパ史観によっているから

です。

いずれにしても、世界はまずスペイン、ポルトガルによって侵略さ

れ、植民地化されていきました。その後に続いたのがオランダ(イ

ンドネシアまで)、イギリス(カナダ、マダカスカル、インド、ビル

マ、オーストラリア、ニュージーランドなど七つの海を支配)でした。

そして19世紀の終わりにはベルリンで「アフリカ分割会議」が開か

れ、ドイツ、フランスを加えて、まったくアフリカの国家や部族に

相談せずにアフリカを「分割統治」してしまったのです。

また、ロシアはモスコーを中心としたアーリア人国家ですが、17

世紀から力をつけて東方に進出、ウラル山脈を越えて、伝統的にト

ルコ系民族やモンゴル系の人たちが住んでいたシベリアを渡り、

日本海まで進出します。また、南方にも何回も進出しようとします

が、トルコや、イギリス・フランスなどのアーリア人国家に阻まれ

て南方への進出は部分的なもので終わりました。

このような歴史を日本人で勉強している人が少ないので、後に20世

紀に日本が行った行為を「侵略」と言ったり、南京で戦闘中に死亡

した民間人を「虐殺」としていますが、これらのアーリア人の世界

制覇における侵略や虐殺に比べると、比較にならないほど小さく、

まったく次元の異なるものです。 でも、日本人の中にも白人崇拝に

凝り固まった人がいて、ヨーロッパ人が作り上げた「自分たちに有

利な歴史と用語」を使って日本の歴史教育が行われたことが、現在

の日本人の歴史観の分裂を招いています。 

(74〜75p)

 

でも、だいぶヨーロッパ史観から抜けてきたように思えますよ。

  

  

う〜ん、今晩はここまで。

明日の朝、頑張る。

頑張れるかな。  

 

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