本「日本国紀 下」/震災時の朝鮮人 天皇の政治関与 通州事件
今日は令和5年11月5日。
今日は3連休の最終日。今日は発信が多い日にしたいです。
前記事に引き続き、
「日本国紀 下」(百田尚樹著/幻冬舎文庫)
から引用していきます。
話は関東大震災です。
なお、この震災直後、流言飛語やデマが原因で日本人自警団が多数
の朝鮮人を虐殺したといわれていますが、この話には虚偽が含まれ
ています。 一部の朝鮮人が殺人・暴行・放火・略奪を行なったこと
はまぎれもない事実です (警察記録もあり、新聞記事になった事件
も非常に多い。ただし記事の中には一部デマもあった)。中には震災
に乗じたテロリストグループによる犯行もありました。
司法省の記録には、自警団に殺された朝鮮人犠牲者は二百三十三人
とあります(その他に中国人が三人、朝鮮人と間違われて殺された日
本人が五十九人)。 一般にいわれている朝鮮人の犠牲者約六千人(東
京都墨田区横網の横網町公園にある「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼
碑」にもそう彫られている)は正しくありません。
韓国政府は「数十万人の朝鮮人が虐殺された」と言っていますが、
これはとんでもない虚偽です。震災当時、日本全国にいる朝鮮人は
八万六百十七人でした。 しかも震災の翌年には、十二万二百三十
八人の朝鮮人が日本に渡航しているのです。あまりの多さに渡航制
限がかけられたほどなのですが、多くの同胞が虐殺されたところへ、
それほど大勢が渡ってきたことはどう考えても解せません。いずれ
にせよ、不幸な事件であったことはたしかです。
(168〜169p)
大震災の時に、朝鮮人が実際に暴動とか起こしていたのですね。
一般に言われている朝鮮人の犠牲者の数は違うと言い切っています。
この辺りの真実は、きちんと見分けなければなりません。
百田さんは、自虐史観にならないようにしている人のようです。
何が正しいのでしょう。
またいつかこだわって調べてみます。
二・二六事件です。
侍従武官長は、蹴起した青年将校たちの心情だけでも理解してもらい
たいと昭和天皇に上奏します。しかし、大日本帝国憲法を否定するク
ーデター行為に反発した昭和天皇は、「朕が股肱(ここう)の老臣を
殺戮す、此の如き凶暴な将校等、其精神に於じょても何の恕すべきも
のありや」と怒りをあらわにして一蹴しました。そして軍首脳部に
「速やかに鎮圧せよ」と命じたのです。ところが、陸軍首脳部が部下
を討つことに躊躇します。すると天皇は自らが近衛兵を率いて鎮圧す
ると示唆しました。これによりようやく鎮圧部隊が動き、反乱軍は三
日後に鎮圧されました。現代においてもなお、二・二六事件を起こし
た青年将校らを「理想主義者」と見做す人がいますが、テロリズムの
容認は民主国家において絶対にあってはならないことです。したがっ
てこの時の昭和天皇の決断は完全に正しいものと私は考えます。
首謀者らは死刑となりましたが、この事件は、日本の全体主義的傾向
に決定的な影響を与えることとなります。この事件を契機に「皇道派」
と対立していた「統制派(軍の統制を重視し、軍による国家総動員体制
を構築しようとするグループ)」が軍の主導権を握り、官の主導で軍部
大臣現役武官制を復活させ、軍が政治を動かす体制を作り上げたから
です。
また軍を批判するとテロの標的にされるという恐怖から、政治家は軍
を批判できなくなってしまいました。 二・二六事件以降、「統制派」
が、 統制経済、言論の自由弾圧といった全体主義的な政策を推進して
いく異常事態となったのです。
(186〜187p)
昭和天皇は政治に関わることを避けていました。
この事件に関しての天皇の行動は、数少ないことです。
やはり、二・二六事件は、影響力の高い事件のようです。
昭和12年(1937年)7月7日に盧溝橋事件があり、
日本軍と中華民国軍が戦闘状態になりました。
その後のことです。
異常な緊張状態の中、その月の二十九日、北京東方で、「通州事件」
が起きます。この事件は、「東防共自治政府」(昭和一〇年【一九三
五】 から昭和一三年【一九三八】まで河北省に存在した自治政府で
あるが、その実体は日本の傀儡政権であるとされる)の中国人部隊が
反乱を起こし (国民党や中国共産党が使嗾【そそのかすこと】した
ともいわれる)、通州にある日本人居留地を襲い、女性や子供、老人
や乳児を含む民間人二百三十三人を虐殺した事件です。 その殺害方
法は猟奇的ともいうべき残虐なもので、遺体のほとんどが生前に激
しく傷つけられた跡があり、女性は子供から老人までほぼ全員が強
姦された上、性器を著しく損壊されていました。これらの記録や写
真は大量に残っていますが、まともな人間なら正視に耐えないもの
です。
この事件を知らされた日本国民と軍部は激しく怒り、国内に反中感
情が高まりました。また八月に上海の租界で二人の日本の軍人が射
殺された(大山事件)とともあり、日本人居留地を守っていた日本軍
と中華民国軍が戦闘状態に入りました(第二次上海事変)。このとき
ドイツの指導と武器援助を受けていた中華民国軍は屈強で、日本軍
は思わぬ苦戦を強いられます。
(192p)
この本で初めて知った「通州事件」
かなり悲惨な出来事だったようです。
なぜあまり知られていないのか。
このサイトに答えがあるかなと思って読みましたが、
南京大虐殺は教えられるが、この事件は教えられないことに
疑問を呈していますが、答えはありませんでした。
中国に遠慮しているのかな。
日本人が中国で酷いことをしたのは教えるけど、
中国人が日本人に酷いことをしたのを教えるのは、
親中派の成果が多い今は、タブーなのかも。
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