秀吉の朝鮮出兵の理由
今日は令和5年10月30日。
昨晩、この動画を見ました。
視聴者様のコメントに返事する 追って沙汰する!Vol.15(かしまし歴史チャンネル)
その冒頭で、秀吉の朝鮮出兵のことに
触れています。
スペインを警戒しての朝鮮出兵ではないかという
コメントが、きりゅうさんのもとに届き、
それに応える形でした。
きりゅうさんが言うには、スペイン説は、
ここ10〜15年、新しく言われるようになったそうです。
それを裏付ける手紙も残っているとのこと。
そうなんだ。
スペイン説は、以前この動画で見ました。
学校では教えない豊臣秀吉が朝鮮に出兵した本当の理由/小名木善行(むすび大学チャンネル)
スペインは黄金の国ジパングを植民地化することを
狙っていました。
しかし、当時の日本は、世界の銃の半分を所有する
強力な国。
スペインは遠国なので、軍隊を多く調達できませんでした。
スペインは太刀打ちできないと考えました。
そこでやろうとしたのは、弱体化している明の征服。
明を征服して、明の軍隊を使って日本を攻めようと考えました。
そんな動きを察知した秀吉は、先に明を攻めることができるように
朝鮮半島に出兵します。
スペインが明を攻めようとしたら、先に攻められるようにして
秀吉は様子を見ていました。
当時、スペインは、新興国イギリスとの間で戦争を起こしていました。
英西戦争です。
スペインが勝てば、スペインは明を攻めると考えていました。
ここまで言っています。
明を攻めようと思えば攻められたが、秀吉は主力部隊は九州に待機させ、
朝鮮半島に渡らせませんでした。
本当かな?
朝鮮半島での戦いは、熾烈を極めたと聞いていますが。
遊んでいただけなの。
そして英西戦争で、スペインが衰退すると、
秀吉は、朝鮮半島から兵を引き上げさせました。
秀吉は、明を攻めれば勝機があったと考えていたそうです。
ただ、攻めて勝つことと、明を支配することは大きく違います。
だから、明の都とかは攻めませんでした。
最初にこの小名木さんの話を聞いた時には、
とんでも説と思いましたが、
朝鮮出兵にスペインが絡むのは新説なのですね。
小名木さんに言わせれば、李舜臣は日本に勝てなかった、
亀甲船は、重たくて、ゆっくりと動かすことしかできなかった、
役に立たなかったそうです。どうなんだろう。
将来の教科書にはどう書かれるのでしょう。
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