通算8700本目の投稿/健康優良児の表彰状
今日は令和5年8月10日。
両親が亡くなり、両親が使っていた部屋の片付けを
少しずつやっています。
今日は、押入れから額縁がたくさん出てきました。
妹と自分がもらってきた表彰状を、
親がありがたく額縁に入れて部屋に飾っていたことを
思い出します。
私が健康優良児に選ばれた時の表彰状が出てきました。
ことさらに母親が喜んでいたものでした。
そういやあ、健康優良児って言葉を聞かないよなと思って、
調べてみました。
ここから引用します。
健康優良児(けんこうゆうりょうじ)とは、身長と体重が平均以上で、
学習成績と運動能力共に優れ、性格明朗な少年として、朝日新聞社・
文部省・都道府県教育委員会が合同で表彰した者である。上記条件を
満たす小学校6年生の男女1名を各学校が推薦し、陸上競技場で徒競走
などの運動能力をテストし、医師の健康診断と教師の面接を経て選定
した。
なるほど。
思い出します。私は懸垂が苦手で、合格の目安になる回数まで
いかなかったと思います。砂場の横にある高鉄棒で、
何度も練習させられたことを覚えています。
結局できなかったと思うのですが、表彰されたということは、
誰かがどうにかしたのかもしれません。まあ時効ですね。
「医師の健康診断と教師の面接」
教師の面接は覚えがないなあ。
健康優良児の歴史は?
1930年に「日本一の桃太郎を探す」として開始し、戦前と戦中は強
い兵隊の育成、戦後は食糧事情の改善指標として選出された。都道府
県予選を経て男女1名ずつ「日本一」を決定し、毎年、文化の日に朝
日新聞紙上での発表が恒例行事であった。
そうか、戦前からの歴史があったんですね。
1961年生まれですが、まだ戦後だったんだよなあ。
優越感や劣等感を招くと批判する意見が目立ち、個人の表彰は1978年
に、学校表彰は1996年にそれぞれ廃止された。
やっぱり健康優良児の制度は廃止されていたんですね。
1978年。私が17歳。高校生の時。
私が健康優良児に選ばれて5年後のことです。
健康優良児制度の末期に選ばれたようです。
私が教師になった時には、廃止となっていて、
健康優良児を選ぶ面接をしなくて済みました。
このサイトに、健康優良児についての記述がありました。
かつて日本では「健康優良児」の表彰も行われていたが、これは後の
調査で生まれ持った遺伝的な要因が大きいことがわかっている。
この論の根拠として、次の文献が上がっていました。
石岡学「「理想の子ども」としての健康優良児:新聞報道における健康
優良児のイメージ」『教育社会学研究』第75巻、日本教育社会学会、
2004年、65-84頁、
読めるの?と思ってクリック。英語でした。
翻訳したら読めるのかな。
またいずれ。
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