6月17日 新城市設楽原資料館・信玄塚に行く
今日は令和5年6月30日。
前記事に引き続き、6月17日に出かけたところについて
書いていきます。
新城市設楽原資料館に行ってきました。
前回に行ってから、10年以上が経っています。
長篠・設楽原の戦いの古戦場跡に立つ、資料館です。
全国の歴史好きの人が来たがっている場所。
私は1時間以内で行ける場所に住んでいる幸運。
思い立てば、こうやってすぐに来れてしまいます。
館内では、家康に関するクイズがありました。
印象に残ったものを紹介します。
戦い(設楽原の戦い)が終わった後、設楽原の田畑は踏み荒らされ
多くの戦死者が横たわっていました。
このままではこの地に住む村人の生活が成り立ちませんでした。で
きるだけ早く村を復興しないと村人の不満が高まり、その気持ちが
家康から離れていってしまいます。たくさんの遺体をどうするか難
問でした。
このとき、家康はどうしたのでしょうか?
①遺体を火葬した。
②遺体はそのまま埋葬した。
③遺体を豊川に流した。
④遺体を甲斐国に送り届けた。
どれだと思いますか?
では正解。
②
設楽原の決戦で連合軍五千人、武田軍一万人の戦没者が出たと伝えら
れています。その光景は私たちの想像をはるかに超える壮絶なもので
した。これほどの大量の遺体は家康の命令を受けた地域の領主たちが
そこに住む人たちに埋葬させたと伝えられています。
あちこちに大きな穴が掘られ、次から次へと遺体が運びこまれたこと
でしょう。そのうちの一つが象徴として信玄塚となった考えられてい
ます。
信玄塚は、資料館から歩いてすぐの場所にあります。
この信玄塚のある広場では、お盆の晩に、勇壮なお祭りが
行われます。
16年前に行っています。
※ここでも道草 新城市「火おんどり」の写真その1(2007年8月17日投稿)
3つの記事を書きました。
大きな松明に火をつけて振り回します。
ど肝を抜かれます。
当時撮った写真は、上記サイトをクリックして見てください。
1枚だけ転載。
16年前のこの晩、蝉が羽化の最中であるところを見たことを思い出します。
火おんどりの撮影を済んだ人たちが、
帰りがけにその羽化を写真におさめていました。
私もその神秘的なシーンを写真に撮りました。
今回、そんなことも思い出されました。
写真を転載します。
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