「ミャンマー現代史」⑤ 停戦合意を仲介した笹川陽平氏
今日は令和4年12月6日。
前記事に引き続き、
「ミャンマー現代史」(中西嘉宏著/岩波新書)
より引用します。
12月2日の朝日新聞朝刊に、
ミャンマーのことが記事になっていました。
(紙面をクリックして拡大して読んでみてください)
2021年2月にクーデターによって政権を奪取した
ミャンマー軍の最高司令官ミンアウンフラインと、
少数民族のアラカン軍の両方から頼まれて、
日本財団の笹川陽平氏が停戦合意を仲介したという記事です。
本「ミャンマー現代史」の中に何度も登場するミンアウンフライン。
記事に登場しました。
現在も、ミンアウンフラインが、実質ミャンマーのトップに
君臨しているというわけです。新聞記事で確認です。
笹川陽平氏も「ミャンマー現代史」に登場します。
日本とミャンマーのパイプになる人物が3人挙げられていた、
その一人です。
「パイプ」である笹川が会長を務める日本財団とミャンマーの関
りは、1970年代にさかのぼる。日本財団が力を入れるハンセン
病対策が最初だった。笹川本人はシャン州での学校建設がきっかけ
でミャンマーと関わり、この国の困難に個人的な思い入れを持つよ
うになった。個人的な熱意なため、笹川の活動は人道支援を超えて、
軍事政権指導者との接触にも発展する。軍事政権の指導者タンシュ
エとの会合は二度。一度目は橋本龍太郎、二度目は森喜朗という首
相経験者とともにヤンゴンで会合を持った。会合前に米国から中止
の要請もあったというが、民間人の交流だと押し切った。(中略)
少数民族武装勢力との全国停戦合意(NCA)交渉にも笹川は関
与する。交渉を支えた国民和平センター(NPC)の施設建設や交
渉上の旅費の支援といったかたちで側面から支援した。日本政府も
、長年の人道支援と軍との関係、さらに日本の政界にも広くネット
ワークのある笹川を頼った。2013年2月には「ミャンマー国民
和解に関し、関係国政府等と交渉するための日本政府代表」に就任。
ミンアウンフラインからも信頼を寄せられ、最高司令官が会談中に
メモをとる数少ない人物として、その名はミャンマーでも知られる。
(244~245p)
アメリカが会合を中止要請したのは、
スーチーを監禁している軍事政権への制裁中だったからだと思います。
本の中に出てきた笹川陽平氏が、記事に登場しました。
お父さんの笹川良一さんはCMで有名でした。
YouTube: 1980年代CM 日本防火協会 一日一善 「すいすい水曜日」篇 笹川良一 高見山
その息子さんの笹川陽平さんも活動的な方のようです。
1939年1月生まれの83歳。
他国の停戦合意をしてしまうなんてすごい人です。
ただ、ミンアウンフラインと民主勢力との仲介は頼まれていないとのこと。
引用した文章にあったように、
ミンアウンフラインから見たら、民主勢力は、
欧米にそそのかされた連中に見えてしまうのでしょう。
この新聞記事からも、ミャンマーの軍事政権はまだ続くと感じました。
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