「無人島のふたり」④ 承認欲求万歳ですよ
今日は令和4年12月31日。
前記事に引き続き、
「無人島のふたり 120日以上生きなくっちゃ日記」
(山本文緒著/新潮社)より引用していきます。
2021年10月13日に亡くなった山本文緒さんの日記です。
そして思うのは、この文章のこと。
私はこんな日記を書く意味があるんだろうか、とふと思う。
こんな、余命4カ月でもできる治療もないという救いのないテキス
トを誰も読みたくないのではないだろうか。
これ、『120日後に死ぬフミオ』のタイトルで、ツイッターやブ
ログにリアルタイムで更新したりするほうがバズったのではないか。
でもそれは望んでいることからはずいぶん遠い。そんなことだから
作家としてイマイチなのかもしれない。
だったら何も書き残したりせず、潔くこの世を去ればいいのに、ノ
ートにボールペンでちまちま書いてしまうあたりが何というか承認
欲求を捨てきれない小者感がある。
せめてこれを書くことをお別れの挨拶として許してください。
(38~39p)
人間がもつ承認欲求はすごいエネルギーになると思います。
余命4カ月と宣告されても、日記を生産するエネルギー。
それを小者感と謙遜しているけど、そんなことはないです。
承認欲求万歳です。
私は、死の直前までこのブログを書くと思います。
それは、こんな人間が存在したんだよと、
証を残したいからだと想像します。
これは承認欲求です。
人間の、死の直前でも、最後に振り絞るエネルギーの源は、
承認欲求なのではと、この文章を読んで思いました。
医療用ウィッグは、ネットで検索していろいろ迷った末に、大手の
かつらメーカーで高いものを作った。
ウィッグそのものよりも、大手で作ると店に個室の美容室がついて
いて、抗がん剤で抜けた髪について研修を受けている美容師さんに
髪を整えてもらうのが何度か無料で出来ていいと思ったからだ。
(中略)
病気の時は、お金を払うから詳しい人に優しくされたい、というの
が本音だ。
その大手のお店では、ウィッグを作ったとき髪のことだけではなく
て、抗がん剤の症状の対処法なんかもいろいろ教えてくださり、と
ても嬉しかった。
(41~42p)
「お金は払うから詳しい人にやさしくされたい」
という本音が知れてよかったです。
そう思うのですね。
Sさんは、おそらく新潮社の山本さんの担当編集者。
この日記を手書きで書いていることをSさんに打ち明けた。
活字にしてほしい気持ちがある反面、こんなの誰が読むのだろう、
誰かが読んで面白いって思う?と自分でもまだ懐疑的で、何だかあ
やふやなことを言ってしまった。(中略)
Sさんとは30分くらいのつもりが楽しくなって2時間くらいおし
ゃべりをしてしまった。
6月の終わりに食べるとお祓いになると言う「水無月」という和菓
子を一緒に食べた。
また会いましょう。夏のうちに会いましょうね、絶対に会いましょ
うと言って別れた。
駅で別れた途端に目の前が歪んだ。
(63~64p)
6月29日の日記です。
余命は1カ月過ぎて、残り3カ月。
夏の間に絶対に会いたいと思う気持ちは共感できます。
秋には命がどうなっているのかわからないわけだから。
6月30日の日記です。
余命を宣告された時、もうこれで勉強のための読書をしないでいい
のだと思ったことは事実で、実際に家にあった未読本をたくさん手
放した。
未来のための読書がなくなったらもう何も読みたいものはないのか
もと思ったけれど、私の枕元には未読本が積んであるコーナーがあ
って毎晩その中からその日の気分に合わせて本を選んでいる。未来
はなくとも本も漫画も面白い。とても不思議だ。
(65~66p)
「読む」という行為は、中毒性があると思います。
活字中毒と言う言葉を、ずっと以前に聞いて、
頭にこびりついています。
椎名誠さんがそうでした。
文字を見たら読まざるを得ない。
文字がないと探してしまう。
日本語がわからない人が見たら、
何が書いてあるか全くわからない文章を読んで、
頭で想像することができるのは、きっと面白い。
私も、活字中毒になるように心がけ、
死の直前でも、本やマンガを楽しめるようになりたい。
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