「キャパとゲルダ」⑤ 前線の兵士たちにとってタローは「お守り」だった
今日は令和4年8月29日。
前記事に引き続き、
「キャパとゲルダ ふたりの戦場カメラマン」
(マーク・アロンソン&マリナ・ブドーズ著/原田勝訳
/あすなろ書房)より。
アレンはビルバオで撮影中のキャパを見て、この写真家がどうやっ
てこうした力強い映像をものにしているのか、より深いレベルで理
解した。空襲警報が短くかん高い音を四度鳴らして飛行機の飛来を
告げても、キャパは走らなかった。そのままそこにいて、シャッタ
ーを切りつづけている。
「気がつくと周囲は大混乱になっていた・・・・キャパは落ちつい
て人々の表情をカメラにおさめていく。やがて通りから人影が消え、
一人残っていた、ライフルを手にしたグアルディア(警察官)が、
避難しろ、とわれわれをせきたてた。立ちつくすキャパは暗い目を
して、無表情だった顔をゆがめた」
なにがキャパをこうした勇ましい行為に駆りたてたのだろう?ユン
カース爆撃機が空を切り裂こうとしている時に、どうしてその場に
飛びこみ、シャッターを切りつづけることができたのだろうか?の
ちに、キャパはよくこう言っていた。「写真にどこか足りないとこ
ろがあるとしたら、それは、十分に近づいていないからだ」この言
葉は、よい戦争カメラマンになるためには、命知らずの冒険家にな
って、常に危険にむかって行かなければならない、という意味に解
釈されることが多い。たしかに、キャパの性格は戦争写真にむいて
いただろう。衝動的で、じっとしていられず、行動の人だった。
(151p)
ロバート・キャパは、ノルマンディー上陸の戦場は生きのびましたが、
インドシナ戦争で地雷を踏んで亡くなります。
近づいて撮影していたら、いずれそうなるだろうという
亡くなり方だと思います。
キャパにとって、人生はとてもわかりやすいものだった。戦争があ
り、写真がある。そして、タローがいた。
(154p)
なるほど。
タローは、単にスペイン内戦の証人になろうとしていただけではな
い。これは彼女自身の戦争、自分の戦いだった。日々、共和国政府
にとって悪い情報がふえていたというのに、タローは、よりあぶな
い橋をわたりはじめる。シエスタ(昼寝)の時間、あたりが静かに
なると、タローはカメラを肩にかけ、さえぎるもののない野原をぬ
けて走ったが、それはまるで、銃弾が自分にあたることはないと思
っているかのようだった。
「彼女は信じきっていた」と、カントロヴィッチは書いている。「
ファシスト軍のすさまじい反撃を受けている時でも、前線に自分の
姿があれば、味方の疲れきった兵士たちにとって、それは軍旗のよ
うな役目を果たすのだと。彼女自身の勇気や熱意が発する魔法のよ
うな力が、兵士たちの士気を高め、手薄で浮き足だつ国際旅団の戦
列に次なる行動を促す力になると」
(166~167p)
ゲルダ・タローは、きっと戦場のヒロインになった気持ちだったのだろう。
この本を読んでいたら、そう思いました。
前線の兵士のすぐ傍らに常にいたタロー。
タロー自身が、あるフランス人ジャーナリストに何度か語っている
が、常に前線にいたいと願うことは、「理解して、そして少しでも
役にたつための事実上唯一の方法」だった。
そして、この言葉はあたっているように思う。おそらくタローは、
兵士たちにとって、お守りのような存在だったのだろう。
(189p)
前線の兵士にとって、傍らに小柄な若い女性がいることは、
「お守り」のように思うだろうなと思いました。
この「お守り」は印象に残りました。
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