番画〈740〉:念願の河井継之助の勉強
今日は令和4年3月8日。
河井継之助
この人がいったいどういう人なのか。
名前は何度も聞いたし、
ガトリング砲を所持していた人だとも知っていましたが、
具体的にどんなことをした人なのかよくわからずに、
今まで過ごしてきてしまいました。
授業で幕末を教えている今、
これを機会に勉強しようと思いました。
すでに戊辰戦争は会津戦争で教えようと決めていますが、
同じ戊辰戦争である北越戦争を知り、河井継之助を知って、
それで教えた方が厚みがでると思いました。
私の勉強方法はテレビ番組を見ることです。
〈740〉「英雄たちの選択 不可能への挑戦
河井継之助の北越戦争」(2019年9月18日放映)
〇3年前に録画したものを見た。
コロナ感染前だったので、参加者5人は一つの机を囲んでいた。
それが不思議に思えた。
〇陽明学の影響を受け「知行合一」
勉強したことと行動を一致させる。
陽明学を学んだ大塩平八郎が乱を起こしたのは、河井11歳のとき。
十七で国のために力を尽くすと誓っている。
〇松山藩の陽明学者山田方谷(ほうこく)の元を訪ねて教えを受ける。
「民は国の本、吏は民の雇い」
身分意識にとらわれない画期的な考え方。
〇無為無策を嫌う 何もしないことを許せない 行動力のある人
陽明学はアクティブな人が多い
吉田松陰 高杉晋作 西郷隆盛 佐久間象山
〇行動力をかわれて郡奉行となる。
信濃川の治水工事 米の量産に成功
信濃川の流通を活発にする
商業の規制緩和
藩の財政を2年間で再建させる。
〇新政府軍と旧幕府軍の対立
朝廷に進言している
治安維持を主張 そのためには再び徳川政権による世。
無視される 戊辰戦争に突入
〇北陸道を迫る新政府軍 長岡藩に対して「新政府軍への参加」
「軍資金3万両」の要求。
〇河井継之助は武装しながらの中立を主張する。
朝敵にはなりたくないが、徳川に対しても兵を出したくない
新政府軍か旧幕府軍かの選択以外の選択。
与えられた選択肢でない選択を自分の頭で考えられる人は非常に珍しい。
〇河井継之助は中立を目指したが、かなわず抗戦を選ぶ。
北越戦争。
長岡城の落城→再び奪還する。
河井継之助は左脚を撃たれる。
〇会津への逃亡。
福島県只見町塩沢で42歳の生涯を閉じる。
「行動の人」
学ぶべきことが多い人でした。
また時間があったら、この「英雄たちの選択」は再び見て、
内容を血や肉にしたいなと思いました。
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