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2021年12月5日

2021年12月 5日 (日)

番画〈548〉〈550〉:チェインレンサーというおもちゃ 世界のコロナ遺児の実態 「青天を衝け㊳」日清戦争の時の日本

    

今日は令和3年12月5日。

    

番画です。

    

〈548〉フィッシャーズ

コースを進むたび道が変形していくやつがカッケェwww #チェインレンサー #SEGA #おもちゃ #Shorts #PR
YouTube: コースを進むたび道が変形していくやつがカッケェwww #チェインレンサー #SEGA #おもちゃ #Shorts #PR

 

〇フィッシャーズの動画を見ると、今のトレンドを知ることができる。

 「チェインレンサー」は面白いおもちゃのようだ。

 ドミノにも通じるところがある。

 ただ値段が高そうだ。

〇関連動画を1本載せる。これは番画扱いせず。


YouTube: 興奮せずにはいられない!新感覚・新世代アクションホビー「チェインレンサー」|セガトイズ

〇フィッシャーズはSEGAから提供してもらって

 やっているんだろうな。

 うらやましい状況だ。

 彼らはきっと運がいい人たちだ。

   

 

〈549〉ニュース地球まるわかり

  (2021年12月5日放映)

  

〇特集 世界のコロナ遺児 実態は

 インドネシア インド アメリカ

 日本にいるとあまり感じないコロナ遺児。

 他国では深刻なことになっていた。

 こういうことを知らせるのも、授業では大事だと思う。

〇旅する世界 フランス 願いかなうクリスマスマーケット

 16世紀から行われてきたクリスマスマーケット

 昨年は中止。売り上げがなくてピンチに陥ったが、

 窮状を知った全国からお菓子の注文があって廃業しなくてよかった。

 今年は開催されている。

 

  

〈550〉大河ドラマ「青天を衝け 38 栄一の嫡男」

  (2021年12月5日放映)

  

〇この回で注目したのは2点。

 日清戦争(1894年~1895年)の時代が描かれていた。

 日本の勝利に、街中では市民が大喜びをしていた。

 あのような雰囲気だったんだ。

 そしてもうひとつが、徳川慶喜が東京に30年ぶりに戻ったこと。

 1897年(明治30年)のことだった。

 徳川慶喜はそんなに長く静岡にいたのだと知る。

 徳川慶喜が亡くなるのは、1913年(大正2年)。

 次回は徳川慶喜と渋沢栄一が濃密に接する。

 徳川慶喜の伝記作成が始まる。

 


 

番画〈545〉〈547〉:初号機で発見生活の変化 伊能忠敬の紹介動画 フィッシャーズまたもアスレチック挑戦

        

今日は令和3年12月5日。

   

番画です。

   

〈545〉「池上彰のニュースそうだったのか!!」

  (2021年12月4日放映)

  

〇「初号機」で発見 生活の変化 この先は?

〇さまざまなものの第1号機「初号機」が紹介された。

〇洗濯機

 初号機は1930年(昭和5年)誕生。

〇掃除機 

 初号機は1931年(昭和6年)誕生。

〇冷蔵庫 

 初号機は1930年(昭和5年)誕生。

〇電子レンジ

 初号機は1961年(昭和36年)誕生。

 当時の値段で125万円。現在の価格で約663万円。

〇これらの家電の進化によって、女性の働き方が大きく変わった。

 共働きが当たり前になってきた。

〇テレビ

 カラーテレビの発売は1960年(昭和35年)

 初号機は1953年(昭和28年)誕生。

〇携帯電話

 1985年(昭和60年)ショルダーホン

 初号機は1987年(昭和62年)誕生。

 1994年から携帯電話は買い取り制になった。

 それまでは高価だったのでレンタルだった。

〇パソコン

 昔は電話回線でつないでいた。

 接続に時間がかかった。

 AIによって代替される仕事。生き残る仕事。

 生き残る仕事の中に保育士があった。わが娘の仕事は大丈夫だ。

〇お金を下ろす機械

 初号機は1969年(昭和44年)誕生。

 決まった金額しか出てこなかった。

 キャッシュディスペンダー

 1975年(昭和50年)誕生。

 お金を下ろすだけの機械。

〇鉄道に関する機械

 かつては切符は駅員さんから買って、切符を改札で切ってもらった。

 券売機

 初号機は1926年(大正15年)誕生。

 改札機

 初号機は1967年(昭和42年)誕生。阪急北千里駅。

〇在来線特急「こだま」1958年(昭和33年)誕生

 東京大阪間を6時間半で走る。

 行ってすぐに帰ってくるので「こだま」 なるほど!

〇数年後に誕生するであろう乗り物 ドローンタクシー

 

これも授業で空いた時間に見せるのはいいなと思いました。

さすが池上彰さんの番組です。

  

  

〈546〉

【漫画】伊能忠敬の生涯~55歳から地球一周分を歩いた男~【日本史マンガ動画】
YouTube: 【漫画】伊能忠敬の生涯~55歳から地球一周分を歩いた男~【日本史マンガ動画】


〇伊能忠敬が天文学の師としたのは高橋至時(よしとき)。

 高橋至時は41歳で亡くなった。

 伊能忠敬の墓は、高橋至時と同じ場所上野源空寺にある。

 本人の希望による。

〇授業では「歴史にドキリ」を見せるが、この動画でも勉強になった。

 伊能忠敬は隠居後に天文学を学んだ。

 私は退職後、何を学ぶかだ。

 動画編集を学ぶのもいいなと思い出した。 

   

   

〈547〉フィッシャーズ

絶対に落ちてはいけない難関アスレチックに挑んだら指ぶっ壊れた!!!
YouTube: 絶対に落ちてはいけない難関アスレチックに挑んだら指ぶっ壊れた!!!


〇CROSPO八王子店にやってきたフィッシャーズ。

 ここでもアスレチックに挑戦している。

 施設にとっては、フィッシャーズが挑戦して

 動画にアップしてくれることで、宣伝になるのだろう。

   

「線量計と奥の細道」⑤ 2016年の糸魚川での大火

    

今日は令和3年12月5日。

   

前記事に引き続いて、

「線量計と奥の細道」(ドリアン助川著/集英社文庫)より

引用していきます。

   

  

人生は出会いと別れの連続だ。その後(奥の細道旅行以後)の芭蕉は

伊勢や京都へ足を運び、また江戸に戻るなど、ひとつの地に安住する

ことがない日々を送る。そして元禄七(1694)年、門人のトラブ

ルを仲裁に出かけた大坂で体調を崩し、その人生を終えることになる。

50歳だった。私と同い年で世を去ったのだ。

(356~357p)

    

岩崎弥太郎、五代友厚がともに50歳ほどで亡くなったことを

先日書きました。

松尾芭蕉も50歳だったのです。

長寿の時代に生きる自分は幸運だと思って、

まだまだ頑張って生きたいと思うのです。

まだ60歳代は心身ともにやりたいことができます。

  

  

一方で、こんなこともあった。2016年12月、糸魚川が大火に

飲まれた。一軒の店舗を火元とする火災だったが、強風により延焼

が拡大し、JR糸魚川駅の北側から海浜にいたるまでの市の中心部

が焼失した。人的被害がなかったことは不幸中の幸いだったが、家

屋を失った人々だけではなく、多くのみなさんが厳しい状況に追い

こまれた。宴会や祝いごとなどの自粛ムードが起き、いっさいの商

売が止まってしまったのだ。特に、飲食店や酒屋への影響は大きか

った。大火があったところへ行くべきではない。そんな場所で酒を

飲むのは不謹慎ではないか。そうした意識が新潟県の内外を問わず

生れてしまった。年末年始をまたいでもビールケースひとつ売れな

い。商店主はみな追いつめられた。

そこで、プラムさんと相談して、あることを企てた。燃えてしまっ

た繁華街は仕方ないが、それ以外の店はお客さんを待ちわびている。

不謹慎でもなんでもありません。糸魚川を旅しておいしいものを食

べよう。お酒を飲もう。ネット上でそう呼びかけてツアーを組んだ

のだ。その結果、大型バスをチャーターするだけのお客さんが全国

から集まった。いわば、食べて飲むだけのボランティアである。プ

ラムさんは身を粉にして働き、宿泊先の手配から糸魚川各地の旅ガ

イドまでをすべてやって下さった。そして宴席には、糸魚川が誇る

酒の数々や、「あぐりいといがわ」の珠玉のトマトジュースなどを

大量に提供して下さった。お客さんはみなプラムさんのホスピタリ

ティーに感動し、谷村美術館の仏像に圧倒され、ブラック焼きそば

のとりこになり、一人一人が糸魚川をしっかりと胸に刻んだのだっ

た。プラムさんがいる限り、糸魚川からは光が射し続ける。

(375~376p)

   

2016年の糸魚川の大火はうっすらと覚えています。

でもこのブログでは取り上げていません。

この文章を読んで、将来糸魚川に行くことがあったら、

糸魚川では最近こういうことがあったという歴史として

ちゃんと知って出向きたいなと思いました。

  

   

数えきれない(東日本大震災)の被災者が、デモに訴えるわけでもな

く、テロに走るわけでもなく、ただおのれの手を見ながら立ち上がり、

生活の再建に向けて汗を流している。まさにもの言わぬみなさんの毎

日の努力が、復興基盤の本質なのだ。

だからこそ私は言葉をもって訴えたい。

無言の人々が我慢を重ねている状態に、為政者は寄りかかるべきでは

ない。権力を持った者たちは、訴えようとしない人たちの心の声を把

握するべきだ。

(377p)

   

この文章を後に、筆者は、原子力発電所が本当に危険な場所に

設置されている実態を書いている。そして「あとがき」の最後に

次のように書いています。

   

芭蕉と曾良の旅から300余年。象潟が陸地になったように、日本列

島は方々で形を変えている。世界一の活断層の巣であり、薄皮一枚下

はプレートが複雑にうごめき合っているのがこの列島の正体なのだ。

数えきれないほどの大地震の歴史と、実際に起きた原発事故から、私

たちはなにを学んだのか。危機はすぐ目の前にある。

(378p)

   

ドリアン助川さんの主張は明確です。

もう原子力発電は日本では無理。止めましょう。

被災した人たちを見て、被災した場所の線量計を見て、

そう思ったのでしょう。

  

   

富岡町や大熊町など、かつての強制避難地域への住民の帰還問題も

ある。政府にしてみれば、汚染されていた福島の浜通りに住民たち

が戻ってきた、線量がさがったのです、もう安心ですよ、なんの問

題もありませんよとアピールをする腹づもりなのだろう。

しかし、帰還の目処となる基準値は、チェルノブイリの現在の強制

移住基準値である年間5ミリシーベルトを越える20ミリシーベル

トに設定されている。第一原発が事故を起こすまでは、環境省が指

定した基準値は年間1ミリシーベルトだった。それが突然、20ミ

リシーベルトまで引き上げられたのだ。多くの被災者は、暴投でも

ストライクとなりそうなこの無茶なカラクリを知っている。政府が

理想とする帰還劇など進むはずがないのだ。20ミリシーベルト基

準ならおそらく問題は起きませんと御用学者が希望的観測を語った

ところで、将来に於ける保障はなにもないのだから。

(385~386p)

   

実際に富岡町や大熊町に行ってみて、

帰還は進んでいないことを実感しました。

まだ問題が山積みのところに、

私はのこのこ行ったのだなと思いました。

  

  

以上で「線量計と奥の細道」からの引用を終えます。

  

  

「線量計と奥の細道」④ だれも手を抜いて生きているわけではない

     

今日は令和3年12月5日。

   

前々日の投稿の続きで、

「線量計と奥の細道」(ドリアン助川著/集英社文庫)より

引用していきます。

    

プラムさん曰く、「あぐりいとがわ」が挑む新しい農業には、ふた

つのキーワードがあるのだという。ひとつは限界集落。もうひとつ

は耕作放棄地だ。

糸魚川に限った話ではなく、今、過疎と高齢化は日本中の山里が直

面している問題だ。農地はあってもそこを耕す人はいなくなり、か

つての豊穣の里は茫々たる荒れ地になりつつある。プラムさんたち

はここにもう一度鍬を入れ、同時に人も集める。定年退職などで人

生の節目を迎えた人々と肩を組むのだ。ほんとうは価値がある土地。

ほんとうは労働欲も能力も有り余っているみなさん。このふたつが

結びつくことにより、終わってしまったかのように見えていた地域

と人が再び実りの季節を迎えるのだ。

(284~285p)

   

退職を4カ月に控えて、それからの生き方を考えるときです。

ハーフで働くことを希望していますが、

残り半分の時間をどう活かすかが重要になってきます。

体が動くのは65歳までと聞きます。

今の自分の関心事です。

どこかで自分の能力が活きる場所がないだろうか。

  

   

車は国道からすでに離れており、あるいは運河の橋を一つ渡る度に、

昭和の頃からさほど風景が変わっていないであろう集落が次々と現

れる。自転車に乗ったおじいさん。路地から現れる子供たち。なに

やら話し込んでいる奥様たち。一人黙々と歩く男子高校生。一瞬す

れ違うだけでおそらく二度と会うことはない人たちの生活がここに

ある。そこにある。どこにでもある。だれも手を抜いて生きている

わけではなく、それぞれがそれぞれの町で人生と向かい合っている

のだ。そんなことを思いながら富山の海沿いの暮らしというものを

眺めていたら、新湊の富山新港に出た。

(295p)

   

自分も知らない街に出かけた時には、太字で書いたようなことを

思います。

日々の生活に手を抜かずに真面目に取り組んでいる人たちがいるのです。

自分もこの場所で手を抜かず頑張っていきたい。

   

   

やがて垂井のいう町に入った。小京都と呼んでもいいような古い街

並が続く。訪れてみなければわからないものだなとつくづく思う。

新幹線の車窓からなら瞬時に過ぎてしまう風景のなかに、こんなに

も趣がある町があったのだ。私が歴史に疎いだけなのかもしれない

が、駅前の案内図を見て、ここに美濃の国府があったことを知る。

日本史の教科書をあらためて読み直し、このあたりをもう一度来て

みたい場所だ。

(353~354p)

   

こんな体験をする旅をしてみたいですね。

それには自転車の旅ですね。

  

昨日まで自転車通勤が4日連続。

その日まで、トレーニングは進んでいます。

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楽餓鬼

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