日めくりより/「ら行」が少ない理由 本「美貌の女帝」読破
今日は令和3年1月19日。
日めくり「雑学王」(TRY-X)より。
日本語に「ら行」が少ない理由とは?
ビックリです。
奈良時代以降に中国の言葉を学んだ結果が、今なのですね。
現在私にとって飛鳥・奈良時代はマイブーム。
この本を読みました。
「美貌の女帝」(永井路子著/毎日新聞社)
主人公は美貌の氷高内親王、後の元正天皇。
年末年始に読んだ本で描かれていた氷高内親王(元正天皇)、
藤原不比等、長屋王、持統天皇とは、また違ったキャラでした。
不比等は「比ぶ者なき」では、左大臣になるのを固辞していましたが、
「美貌の女帝」では昇進を望んでいました。
元正天皇がそうはさせなかったという展開です。
史料が少ないので、描く人によって変わってくるのでしょう。
知りたかった長屋王の最期、不比等の4人の息子の感染病死の様子も
読んで知ることができました。
長屋王は藤原氏との権力闘争のなかで自刃を選んだようです。
この本を読んで、ますます長屋王のことに興味を持ちました。
そして不比等の4人の息子の死は、
藤原氏にとっては大きなダメージだったようです。
病気の感染拡大が、政治に影響を与えたようで、
今はどうなのか、どう変わっていくのか見ておきたいという思いに
なりました。
知らなかった飛鳥・奈良時代の様子が、目の前に広がりつつあります。
面白くなってきました。
吉備真備だってまさにこの時代の人です。
※ここでも道草 番画:「歴史秘話ヒストリア 吉備真備」(2021年1月4日投稿)
その吉備真備が1回だけ登場しました。
聖武天皇の時代に、藤原広嗣(ひろつぐ)が朝廷に対して九州で
挙兵しました。
当時、聖武は閣僚外の政治顧問として、少し以前唐から帰国してきた
吉備真備と僧玄昉(げんぼう)を重く用いていた。とりわけ玄昉には、
精神に異常を来していた聖武の母の宮子を治療して効果をあげたので、
深い信頼を寄せてもいた。広嗣はまずはこの二人を奸臣(かんしん)
として、彼らの排除を献言し、挙兵したのである。
(302~303p)
これだけです。
視点の当て方で、描かれ方は違ってきます。
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