「十二月八日 太宰治戦時著作集」/昭和16年12月8日の様子
今日は令和2年9月20日。
太宰治が入水したのは1948年(昭和23年)6月のことでした。
つまり太平洋戦争を生き抜いた人です。
太宰治のこの本を読みました。☟
「十二月八日 太宰治戦時著作集」
(太宰治著/毎日ワンズ)
8作品が収められています。
「十二月八日」は昭和17年2月に発表された短編です。
昭和16年12月8日、太平洋戦争開戦の日、
庶民はどう思っていたのかを、
小説家の妻の立場で書かれていました。
重大なニュースが続々と発表せられている。フィリピン、グアム
空襲。ハワイ大爆撃。米国艦隊全滅す。帝国政府声明。全身が震え
て恥ずかしいほどだった。みんなに感謝したかった。
(15p)
物資が不足して不安ではあったが、
「米国艦隊全滅す」の報を受けて体を震わすほど感激するような
気持ちだったんだなあ、
発表日から考えて、真実に近いと思いました。
魯迅が日本に留学していた時のことを書いた「惜別」からの引用。
私がその頃、他の新入生と疎遠だったのは、そのような言葉の事
情にもよるが、また一つには、私にはやはり医専の生徒であるとい
うことの誇りがあって、烏もただ一羽枯枝にとまっているとその姿
もまんざらでなく、漆黒の翼も輝いて見事に見えるけれども、数十
羽固まって騒いでいると、ゴミのようにつまらなく見えるのと同様
に、医専の生徒も、群れをなして街を大声で笑いながら歩いている
と角帽の権威も何もあったものでなく、まことに愚かしく不潔に見
えるので、私はあくまでも高級学徒としての誇りを堅持したい心か
ら、彼らを避けていたというようなわけもあったのである、(後略)
(91~92p)
この表現は、なるほどと思って読みました。
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