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2020年9月20日 (日)

「十二月八日 太宰治戦時著作集」/昭和16年12月8日の様子

  

今日は令和2年9月20日。

  

太宰治が入水したのは1948年(昭和23年)6月のことでした。

つまり太平洋戦争を生き抜いた人です。

太宰治のこの本を読みました。☟

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「十二月八日 太宰治戦時著作集」

(太宰治著/毎日ワンズ) 

 

8作品が収められています。

  

「十二月八日」は昭和17年2月に発表された短編です。

昭和16年12月8日、太平洋戦争開戦の日、

庶民はどう思っていたのかを、

小説家の妻の立場で書かれていました。 

 

 重大なニュースが続々と発表せられている。フィリピン、グアム

空襲。ハワイ大爆撃。米国艦隊全滅す。帝国政府声明。全身が震え

て恥ずかしいほどだった。みんなに感謝したかった。

(15p) 

  

物資が不足して不安ではあったが、

「米国艦隊全滅す」の報を受けて体を震わすほど感激するような

気持ちだったんだなあ、

発表日から考えて、真実に近いと思いました。

  

  

魯迅が日本に留学していた時のことを書いた「惜別」からの引用。

 

 私がその頃、他の新入生と疎遠だったのは、そのような言葉の事

情にもよるが、また一つには、私にはやはり医専の生徒であるとい

うことの誇りがあって、烏もただ一羽枯枝にとまっているとその姿

もまんざらでなく、漆黒の翼も輝いて見事に見えるけれども、数十

羽固まって騒いでいると、ゴミのようにつまらなく見えるのと同様

に、医専の生徒も、群れをなして街を大声で笑いながら歩いている

と角帽の権威も何もあったものでなく、まことに愚かしく不潔に見

えるので、私はあくまでも高級学徒としての誇りを堅持したい心か

ら、彼らを避けていたというようなわけもあったのである、(後略)

(91~92p)

     

この表現は、なるほどと思って読みました。

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