「歴史の愉しみ方」④ 愛知県に向かう新幹線の中で500年ごとの大地震のことを読みました
今日は令和2年2月24日。
前記事に引き続き、
「歴史の愉しみ方 忍者・合戦・幕末史に学ぶ」
(磯田道史著/中公新書)より引用します。
(岡山県)番町(ばんちょう)というところまできて、ふと小
早川秀秋のことを思い出した。そういえば、小早川秀秋の遺体
は、この番町の瑞雲寺(ずいうんじ)に埋められている。ひさ
しぶりに、見に行こうと考えた。
小早川秀秋は、岡山での人気がなかった。(磯田さんが)小学
生の頃、歴史少年だったわたしは、小早川の遺体埋葬地うぃ確
かめようと、その寺に一人で行ってみたことがある。愕然とし
た。荒れ放題。寺の屋根には草が生え、雨が漏れ、穴が開き始
めていた。とくに岡山は西軍の大将格の宇喜多秀家の地元。宇
喜多家の敗残浪人が「小早川さえ裏切らなければ」と歯嚙(は
が)みしているところへ、秀秋は入ってきた。だから、ひどい
話だが、秀秋が21歳で死んだときには、小気味がいい、と、
皆が思ったらしい。
秀秋を葬った寺についた。意外なことに、あれほど荒れていた
寺の屋根はすっかり修理されていた。「岡山城主小早川秀秋公
菩提寺」の真新しい標柱も立っていた。
時がたてば、秀秋への恨みさえ浄化され癒されるものらしい。
(124p)
最近の瑞雲寺の様子が、ここでわかりました。☟
※ロードスターと戦国史跡ツーリング 瑞雲寺 『小早川秀秋の墓所』
磯田さんが、小学生の時に見た瑞雲寺と、
写真で比較したかったですね。
寺の住所は、岡山県岡山市北区番町2丁目6−22
岡山市に行くことがあった時には、ぜひ訪れたいです。
太平洋の沿岸には、だいたい500年に1回ほどの周期で、超
巨大大津波がきている。
この500年に1度の「強いほうの東海大地震」が、最後にこ
の国を襲ったのは、室町時代で、明応大地震・明応大津波(1
498年)とよばれる。この地震津波の超絶した大きさは、鎌
倉の大仏の大仏殿を押し流し、大仏殿を裸にした可能性が高い。
さらには砂丘を破壊し淡水湖の浜名湖を海とつなげた。京に近
い湖が琵琶湖で近江(ちかつうみ)、京に遠い湖が浜名湖で遠
江(とおとうみ)だったのを変えたすごい地震である。
運の悪いことに、われわれは、この明応地震からちょうど500
年後の世界に生きている。次は強いほうの東海大地震、人口集中
地に15メートルの巨大津波がきても不思議ではない時期にさし
かかっているといっていい。
(150~151p)
前記事に書いたように、薩摩人の詮議のように、
巨大地震が来たらどうするか、どんな準備をしたらいいのかを
考えないといけないと思います。
先日、保険については確認しました。
一安心。次は・・・・・
さらに困ったことがある。新幹線のことである。2012年2月
2日付の『産経新聞』の記事で96歳の旧国鉄総裁の仁杉巌(に
すぎいわお)さんが重要な証言をされていた。国鉄は新幹線ルー
トを決める時、津波のことを全く考えなかった。大津波がくると
新幹線は、浜名湖付近と焼津付近の二か所で津波にやられる。迂
回ルートを作って対策したほうがいい、と、いっておられた。仁
杉元総裁は技術系出身の総裁で土木の専門家である。現在、新幹
線は10分どころか過密時には3分間隔で発車している。しかも
浜名湖付近では高架も低く海面に近いところを走行している。震
度6~7では新幹線は脱線に耐えるのがせいいっぱい。地震後、
曲がった線路を走るのは絶望的で、かりに15メートル近い津波
がくれば、新幹線の架線は5キロ、10キロと、水没する可能性
がある。上下線で悪くすると四編成が被害をうけることも考えら
れる。新幹線は一編成の定員が1300人。四編成やられた場合、
さらに東海道線もあるから、阪神大震災に相当する死者をここだ
けで生じさせるかもしれない。
(155~156p)
この部分は、東京から愛知県に戻る新幹線の中で読みました。
切実な内容でした。
もしかしたら偶然が起こるかも?と思っていました。
う~ん、ここまでにします。
「歴史の愉しみ方」からの引用を終えます。
磯田さんはとても歴史を愉しんでいました。
気になったことをほっておかないで追及することで、
おもしろい展開になり、愉しめることを
実践で証明してくれました。
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