① オリンピックシンボルマークの誕生
今日は令和元年5月14日。
今日は学校を休みました。
ちょっと疲れました。
仕事と介護かな・・・もう若くないと思いつつも頑張ってきましたが、
体が動かず、休みました。
よく寝ました。ボウっとしていました。
そして再始動です。
まずはやっぱり道草します。
前投稿の続きです。
4月28日放映の
大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~ 16 ベルリンの壁」より。
次の3点について。
① オリンピックシンボルマークの誕生
かの有名な「五輪の輪」
② 戦車が次々にわき出すヨーロッパ
③ サラエボ事件の記事を読んだ日本人の反応
今回は①について。
オリンピックのシンボルマーク。
https://illustrain.com/?p=24003
次のように書いてありました。
オリンピックマーク、いわゆる五輪マークは、
単色または五色(左から青・黄・黒・緑・赤)の
輪を重ねて連結した形で、ヨーロッパ、南北アメリカ、
アフリカ、アジア、オセアニアの五大陸と、
その相互の結合、連帯を意味しているが、
どの色も特定の大陸を意味したものではない。
ピエール・ド・クーベルタンが古代オリンピックの開催地の一つである
デルフォイの祭壇にあった休戦協定を中に刻んだ五輪の紋章に
着想を得て製作し、1914年にIOC設立20周年記念式典で発表された。
「いだてん」で言っていたように、1914年のことでした。
そしてこの年に第1次世界大戦が始まります。
色については、次のサイトにもう少し情報がありました。
引用します。
青、黄色、黒、緑、赤の色は地色の白を加えると、
世界の国旗のほとんどを描くことが出来ると言う理由で選んだと、
考案者であるクーベルタン氏は書き残している。
五輪の輪は、1964年の東京オリンピックのポスターで
印象に残っています。
3歳でしたので、オリンピックの競技の記憶は残っていません。
そのオリンピックの時に買ったであろう貯金箱が、
だいぶ家に置いてありました。
その貯金箱に印刷されたポスターは忘れません。
第1号ポスターと呼ばれます。
これです。
このポスターができるまでのいきさつを含む、
1964年の東京オリンピックのデザインのドキュメンタリー番組が
我が家にはあります。いつかはブログに書き留めておきたいと思った
番組です。
2014年10月10日放映の
「1964から2020へ オリンピックをデザインした男たち」です。
いい番組でした。
いよいよ授業で使えるかな。
さらに1号があれば、2号もあります。
第2号ポスターです。
これに関しても、次の番組が所持しています。
2014年7月5日放映の
「美の巨人たち 東京オリンピック 第2号ポスター
昭和37年 亀倉雄策作」です。
こちらはまだ見ていません。
近いうちに見たいですね。
1964年の東京オリンピックでは、
上空に五輪の輪が描かれました。
その時の写真です。
この五輪の輪は、自衛隊ブルーインパルスの人たちによって
描かれたそうです。
その裏話が聞ける動画です。
開会式で描いたのですが、練習では一度も五輪の輪にならなかったそうです。
本番で初めて成功!
開会式前日は大雨。なので、隊員たちは「明日はもうない」と考え、
真夜中まで飲み歩いていたそうです。
それなのに、当日起きたら空は「真っ青」。
隊員たちの顔も真っ青になったと動画の最中で言っています。
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