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2017年11月23日 (木)

二川宿本陣資料館その3/千両箱の重さ

今日は11月23日。

  

前投稿の続き。

 

こんな体験コーナーがありました。

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Rimg1149_2  

慶長小判の入っていると想定した千両箱と、

万延小判が入っていると想定した千両箱との

重さ比べ。

実際に持ってみると、慶長小判の千両箱は重く、

万延小判の千両箱はあっけなく軽かったです。

具体的にどれくらいの重さなのでしょう?

  

Yahoo!知恵袋の回答が参考になりました。

引用します。

  

小判にも色々ありまして、初期の慶長小判は18グラム弱、

時代が後になるほど軽くなっていき、天保小判は11.24グラム、

最後の万延小判にいたっては3・3グラムしかないという代物でした。

江戸の中期までの小判は大体18グラム弱のものが多かったので、

この時代なら千両で18キロ弱、

そしてそれを入れるのに耐えうる木製千両箱の重量を加えると

25キロは軽くあるとおもわれます。

江戸後期の小判は大体約13グラムから約11グラムの物が多く、

これだと箱込みで20キロ前後の重さだと思われます。

万延小判だと箱込みでも10キロないです。(後略)

inakanokenshiさん

  

25kgと10kg弱。全然違います。

実際に持った時も全然違いました。

 

「万延(まんえん)」という年号について。

この年号だったのは、

西暦でいうと1860年4月8日~1861年3月29日。

「安政」の後で、「文久」の前。

桜田門外の変(1860年3月24日)の直後の改元でした。

1年にも満たない短い年号でした。

  

「万延」をどこかで見たぞと思っていたら、

大江健三郎さんの小説「万延元年のフットボール」がありました。

読んだことはないけど、小説名は見たことがありました。

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