二川宿本陣資料館その3/千両箱の重さ
今日は11月23日。
前投稿の続き。
こんな体験コーナーがありました。
慶長小判の入っていると想定した千両箱と、
万延小判が入っていると想定した千両箱との
重さ比べ。
実際に持ってみると、慶長小判の千両箱は重く、
万延小判の千両箱はあっけなく軽かったです。
具体的にどれくらいの重さなのでしょう?
Yahoo!知恵袋の回答が参考になりました。
引用します。
小判にも色々ありまして、初期の慶長小判は18グラム弱、
時代が後になるほど軽くなっていき、天保小判は11.24グラム、
最後の万延小判にいたっては3・3グラムしかないという代物でした。
江戸の中期までの小判は大体18グラム弱のものが多かったので、
この時代なら千両で18キロ弱、
そしてそれを入れるのに耐えうる木製千両箱の重量を加えると
25キロは軽くあるとおもわれます。
江戸後期の小判は大体約13グラムから約11グラムの物が多く、
これだと箱込みで20キロ前後の重さだと思われます。
万延小判だと箱込みでも10キロないです。(後略)
inakanokenshiさん
25kgと10kg弱。全然違います。
実際に持った時も全然違いました。
「万延(まんえん)」という年号について。
この年号だったのは、
西暦でいうと1860年4月8日~1861年3月29日。
「安政」の後で、「文久」の前。
桜田門外の変(1860年3月24日)の直後の改元でした。
1年にも満たない短い年号でした。
「万延」をどこかで見たぞと思っていたら、
大江健三郎さんの小説「万延元年のフットボール」がありました。
読んだことはないけど、小説名は見たことがありました。
コメント