「前田真三写真美術館 ふるさと」より
今日は9月17日。
前田真三さんの作品をまた見るようになりました。
8月に丹渓山荘を調べていて、前田さんに行きついたからです。
※2017年夏・仙丈ケ岳登山報告その7・・・丹渓山荘を見る(2017年8月31日投稿)
この表紙の写真は長野県飯山市での撮影。
心惹かれる写真です。
ただ掲載されている写真を載せられないのが残念です。
4~5pに表紙と同じところ撮影した写真があります。
その説明にこう書いてありました。
奥信濃の棚田
千曲川に向かってひらけた山の斜面に作られた棚田である。
この棚田にはいろいろなことを教えられた。
水田を造形的に捉えることの面白さを
気づかせてもくれた。(長野県飯山市)
この水田を見たら、造形的に捉える面白さに気づきますよね。
引用します。
あとがきに、豊根村在住で前田さんと親交のあった方
(熊谷臣代・熊谷卓也)が文章を書いています。
そこに印象的な文章がありました。
卓也:写真の好きな高校生の息子が時々(前田)先生の助手を
務めたのですが、地元の人間でもどこから撮ったのか
わからない、まるで合成写真のような作品があり、
息子に撮影場所に連れて行ってもらうと、本当にある一点だけ
その通りに見える角度がある。
プロの目はすごいと思いましたね。
臣代:そう、先生の目ん玉は違うねと皆でいっていました。(中略)
卓也:それまでこの辺りは東三河とか愛知県東北部と言われていたのですが、
今では”奥三河”で通るようになりました。
写真家はやっぱり同じ場所に行っても、
いい景色を見つける感性があるのだなあと思わせてくれた文章でした。
そして「奥三河」という名称を普及させた写真集でもあったのかと
思いました。
写真集「奥三河」は、
ちょうど奥三河に新任で赴任した頃に発刊されたもの。
当時奥三河の人たちの中で話題になっていました。
思い出します。
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