« 2006年9月16日竜爪山との比較 | メイン | 日めくりより トランプのマーク/尸と水・比・米 »

2017年1月19日 (木)

「真田丸」シリーズ31 次の大河ドラマの宣伝シーン/久々のオリオン座

 

今日は1月19日。

  

今週の月曜日の晩は、9時半くらいまで仕事。

帰宅しようと勤務校の玄関から外に出た時に、

一緒にいた人が「オリオン座がよく見える」とつぶやきました。

その言葉で、私も空を見上げました。

  

この時期、この時間、

オリオン座はどこにあるかは承知しています。

その位置にオリオン座はデーンとありました。

  

お久しぶりです。

この冬、オリオン座を見たのはもしかして初めて。

ご無沙汰していました。

そうだよ、この時期には、オリオン座を眺めながら、

自転車で帰ることが多かったのに。

どうやらこの冬は心に余裕がないようです。

ビックリするくらい、オリオン座のことが頭になかったです。

何かと忙しい日々だけど、

オリオン座を眺めるくらいの余裕は持ちたいですね。

  

そして道草をしよう。3日ぶり。

  

  

1月6日放映の「歴史秘話ヒストリア おんな城主 直虎のイロハ」を

見ました。

今年の大河ドラマ「女城主 直虎」の主人公、直虎が

どんな人なのかといった基本的なこと(イロハ)を知りました。

直虎は、井伊家を存続させた人なのですね。

女城主として3年間、その後は徳川家の家臣になれるように、

井伊家の少年を立派に育て上げて売り込むこともしています。

その少年が井伊直政(なおまさ)。

Rimg2356

Rimg2357

井伊直政は、家康家臣となってからは、家康天下取りに貢献。

徳川四天王の一人と称されました。

武田家の兵法を受け継ぎ、鎧の色は朱色とし、

「井伊の赤備え」と呼ばれました。

赤備えを纏(まと)って兜には鬼の角のような立物をあしらい、

長槍で敵を蹴散らしていく勇猛果敢な姿は

井伊の赤鬼」と称され、諸大名から恐れられました。

※参考:Wikipedia 井伊直政

  

井伊直政は関ヶ原の戦いでも活躍しましたが、

その2年後に亡くなります。

しかし、井伊家は徳川家の重要な家臣として存続し、

大坂冬の陣では、直政次男の直孝が出陣しています。

ここで大河ドラマ「真田丸」のシーンが思い出されます。

  

昨年11月13日放映の45話「完封」から聞き書きします。

  

要塞「真田丸」の櫓の上で、徳川軍を見る真田幸村と高梨内記。

Rimg2353  

幸村:壮観だな。

内記:相手に不足はござりませぬ。

  あちらにも赤備えがおりますぞ。

Rimg2354

幸村:あれは井伊直孝の陣。

  かの井伊直政の次男坊じゃ。

内記:井伊でございますか。

幸村:向こうにも、ここに至るまでの物語があるんだろうなあ。

Rimg2355

内記:一度聞いてみたいものですなあ。  

  

  

三谷幸喜さんのくすっと笑える企てがありました。

ちゃっかり次の大河ドラマを宣伝していました。

幸いにも「ここに至るまでの物語」を聞く機会を得た身として、

これから1年、「女城主 直虎」を見ていこうと思います。

  

  

4週間ごとに通っている内科の病院の待合室には、

毎年大河ドラマのガイドブックが置いてあります。

17日に行ったら、「女城主 直虎」のガイドブックが置いてありました。

さっそく見ました。

直虎は織田信長と同世代と書いてありました。参考になりました。

織田信長は1534年生まれで、

1582年6月に本能寺の変で亡くなりました。

直虎は1536年前後に生まれたとされていて、

亡くなったのは1582年の10月です。信長の没年と同じです。

ちなみに徳川家康は1543年生まれ。

豊臣秀吉は1537年生まれ。

三英傑が目立っていた同時代に、頑張っていた人でした。

さあ、今日も1日、私も頑張ろう。

コメント

コメントを投稿

最近の写真

  • Epson103
  • Img_5339
  • Img_5338
  • Img_5332
  • Img_5295
  • Img_5334
  • Img_5662
  • Img_5331
  • Img_5330
  • Img_5329
  • Img_5318
  • Img_5317

楽餓鬼

今日はにゃんの日

いま ここ 浜松

がん治療で悩むあなたに贈る言葉